ネパール・ポカラ



12/6
 昼の飛行機でダッカからカトマンズへ飛んでその足で、国内線の小さいプロペラ機に乗り換えて一気にポカラまで来てしまった。
 空港を出るや否やしつこいホテルガイド達にとりかこまれて、逃げるように乗ったタクシーにぼられてしまった。ダムサイドの街を歩いているとまた客引きがあちこちからやってくる。収拾がつかないので、レストランに入って食事をしながら、さっき逢った人のよさそうなおばさんのホテルに泊まることに決めた。ところがそのホテルがなかなか見つからない。実は看板をつけると10%の税金をとられるので何もつけていなかったのだ。

 何件か訪ねてようやくそこを見つけた。
「やっぱり来たのね。」とおばさんがうれしそうに言った。部屋に荷物を置くとおばさんとおじさんが屋上(といっても平屋だけど)に案内してくれて
「洗濯物があったらここに干しなさい。」と紐を指さした。「それに朝はすぐ目の前の湖に、マチャプチャレ、アンナプルナが映ってすごくきれいだから、5時半に起きて見たほうがいいよ。」とアドバイスしてくれた。


Annapurna Tea Shop

 夜、地元の若者のたくさんいる店、アンナプルナ・ティーショップで1杯2ルピー(5円)のミルクティを飲んでいると一人の青年がテーブルにやってきて
「トレッキングに行くんですか?」
「そうです」
と答えると
「ガイドはいらない?」
ときいた。
まわりにいた連中も
「彼はプロフェッショナルのガイドで、つい最近もイタリア人とトレッキングにいって帰ってきたばかりだよ。」
と教えてくれる。
「でも今回は私たちふたりだけで行くからいらない。」
と断った。

 やがて他の若者たちは待ち合わせしていた仲間と店を出ていったけれど、その後しばらくその青年は一人残って私たちとよもやま話をした。店を出る時、店の女の子が英語ができないのでその青年が清算してくれた。オヤスミナサイと彼は別れ際に日本語で挨拶した。



12/7
 朝早起きして外に出たらおじさんがいて片言の英語で山の説明をしてくれた。ホテルのすぐ近くの貸し自転車屋で真新しいマウンテンバイクを一日100ルピー、ぼろ自転車を30ルピーで借りた。

 イミグレーションオフィースの前で自転車の鍵をなかなか掛けられなくて苦労していたら、隣の写真屋の少年が来て掛けてくれた。まだオフィースが閉まっていたので行こうとしたら、少年が
「10時にオープンするけれど、その時にはたくさん人が並んじゃうからこのまま待ったほうがいいよ。」
とアドバイスしてくれた。でもそれまでに30分以上時間があったし、すごくお腹が空いていたので先に朝食にすることにした。

 スルジハウスの近くの日本食レストランで、スペシャルオムレツと卵丼を食べて、イミグレーションオフィースへ戻るとすでに10人ぐらい人が並んでいた。トレッキングガイドと称する若者も何人かいてしきりに売り込みをしている。一人のガイドは仕事にありつけたらしく、列に並んでいる女の子のリュックを担いでユー アー マイ サンシャインを歌っていた。トレッキング許可証の申請をしたり、飛行場でジョムソンまでのチケットを買ったり、レイクサイド周辺を観光したり、あちこち走り回った。ダムサイドまで戻って自転車を返して、レイクサイドのレストランまで歩いた。

 夕食を済ませた後、喫茶店でケーキとミルクティを飲みながら明日からのトレッキングのことを考えた。ガイドを連れていく旅行もなんだかおもしろそうだし、昨夜逢った青年はとても感じがよかったから、一緒に行くことにしよう。

 さっそくアンナプルナ・ティ・ショップへ行ってみると、もうすでにお客たちの帰った後で、最後の客が一人で食事をしているところだった。食事中の彼に通訳してもらって店の人にきのうの青年に仕事を頼みたいと言うと、
「彼はいつもここに来るけれど、どこに住んでいるのかわからないんです。でもなんとか捜してみる」
と言って店を飛びだしていった。食事中の男にトレッキングガイドのギャラはいくらくらいか聞くと、
「僕は全然知らないけれどおそらく300とか400ルピーじゃないかな」
と答えた。彼は食事を終えると、
「煙草を一本もらえますか?」と言った。

 30分後、はあはあ息を切らしながら、青年がやってきた。顔はもうニコニコだ。一緒にホテルに戻って、22キロのリュックサクをかついでもらって一日250ルピー(650円)食事はすべてこちら持ちということで商談成立。



12/8
 早朝5:00、ポーターのゴビ君(ゴビンダ)と共にホテルを出発。満天の星空のもと飛行場まで歩いた。飛行場に着くと中は真っ暗でカウンターにもまだ誰もいない。すぐ近くの茶屋でミルクティーの出前を3個注文する。店の子供が狭いロビーにお茶を運んできてくれた。
「ツブァン・ツィヒ」なぜかドイツ語で20だという。
「一杯いくら?」
「7ルピー」
1ルピーはいいのかな、と思いつつ20ルピー渡した。 

 ようやく係員が来た。停電なのでカウンターの上にロウソクを立てている。ゴビ君の航空券の手続きをする。ネパール人は外国人の約半分の料金だ。ジョムソンには電話が無いので、ゴビ君は飛行場の人たちに伝言や届け物を頼まれていた。

 待合室に朝日が差し込んできた。年配の団体のトレッキング客を相手に、見た目ほとんどネパール人に見える欧米人のガイドが冗談を言って笑わせている。隣に座っている人はノートにセッセと日記を付けている。

 ポカラに来たときよりさらに小さいプロペラ機は、乗客7人を乗せて、予定を一時間ほど遅れて7:00頃離陸。山すれすれに飛んでいるので、ぶつかりやしないかとハラハラする。上からの眺めはまるで立体地図みたいだ。段々畑が等高線のようだ。これから歩く道や村がよく見える。一応スチュワーデスがいるけれど機内での説明はない、代わりにゴビ君が説明してくれる。もうすぐ右側にゴレパニの村が見えるよ。でも、実際は左側だった。彼の地理は自分で歩いた経験によるものなので、たまに地図と違うことがある。


Jomson airport
 40分あまりで、ジョムソン(標高2713m)到着。同じ飛行機で来た欧米人の夫婦は奥さんの具合が悪いのできょうはホテルに泊まるらしい。

 私たちは朝食を済ませて、お菓子やミネラルウォーターを買いこむと10:20に歩き始める。チェックポストに寄ったけど誰もいなかった。一応ノートにサインをするとゴビ君が
「アイ アム アン オフィサー」
と言ってトレッキング許可証にスタンプを押してくれた。

 カリガンダキ川沿いに北上する。途中イタリア人が川原で石をカチカチぶつけている。ゴビ君が連れのポーターとネパール語で話している。イタリア人は化石を捜していたのだ。この辺りは大昔、海だったので今でもアンモナイトなどの化石がたくさん採れるそうだ。ポカラのみやげ物店にも、二つ割りにした石の中に化石が入っているものがたくさん並べられていた。

 歩き初めは一緒だったのに、村が見えるとゴビ君は急にペースが早くなって、あっという間に姿が見えなくなってしまった。

 14:20カクベニ。ゴビ君が村の入口でリュックを下ろして待っていた。
「ホテルはどこにする?」
まずゴビ君のおすすめに行ってみる。
「もう少し他も見てみよう」
 何件目かで庭先で牛や犬と一緒におばあさんたちがひなたぼっこをしているひなびたホテルに決めた。ゴビ君はこのホテルは初めてだそうだ。ホテルでは食事の注文はゴビ君がやってくれる。注文したものはすべてノートに記入していく方式になっているが、これもやってくれる。ゴビ君はダルバートンタルカリ(ネパール風カレー)を大盛りで2杯もたいらげた。ネパールではダルバートンタルカリに限り、ごはんはもちろんルーもおかわり自由。つけあわせの干したヤクの肉をニンニクと一緒に焼いたものをわけてくれたけど、なかなかおいしい。

 夜は停電で真っ暗。ローソクでも十分明るく感じる。ホテルのお姉さんがテーブルの下に炭火を入れてくれた。ゴビ君が「コタツ」と言って笑った。

 ゴビ君は今19歳(本当は21だった)でこの仕事は3年目。今までに仕事したお客さんの名前と住所を書いた手帳をみせてくれた。日本人の名前が出てくると
「新宿とかは近くなの?」
「世田谷はどう?」
「ゴビンダに逢ったって言ってこの人に電話してみたら?」
と言ったりする。そして大事にしている名刺が1枚。その人は守口市の市議会議員で、飛行機でジョムソンへ来て、数日間その周辺のいくつかの村を旅して、またジョムソンから飛行機でポカラへ戻ったとか。なんかいい人だったみたい。
 ゴビ君はカトマンドゥからバスで行ってそこからさらに歩いて2日かかる、ネパール東部のジャナクプール地方のドルカ出身で6人兄弟の長男。3年前からポカラで下宿してカレッジに通っている。実家には耕作用に雄牛が2頭、ミルク用に水牛を2頭、食肉用に山羊が10頭、鶏数羽。農業をしているけれど作物は一切売らず、自給自足状態なのだそうだ。肉はめったに食べないけれど、家でヤギや鶏を殺す時は近所で分け合うそうだ。原始共産主義の世界なのだ。
 ゴビ君は公立のカレッジとはいえ学費はもちろん食費、家賃と生活費をすべて自分で稼いでいる。しかも帰省するときは家族に洋服やマサラ(香辛料)とか街でしか買えないおみやげを買っていくのです。
 ゴビ君は仕事柄、英語はもちろんそれ以外にも、日本語、イタリア語、中国語もちょっとだけ出来る。

 寝るときにゴビ君が余分に毛布を持ってきてくれた。暖房が全然ないので、私たちはダウンジャケットを着て寝袋に入ってその上に毛布をかけていたけれど、ダウンも寝袋も持ってないゴビ君はどうやって寝ているんだろう。



12/9
 オハヨウゴザイマス。ゴビ君がにこにこ顔であいさつ。いつも早起きだ。
「オー ディディ カティーパイサ バイヨ。」
(おねえさんお勘定お願いします)
ゴビ君がノートに書いたここでの宿泊費、食費をすべて計算してくれる。いたれりつくせりとはこのことだ。おまけにトレッキング中どこのホテルもポーターの宿泊費は無料なのだ。

 9:10 ホテル発。出かける時にたくさんリンゴをもらった。また来るときはうちに泊まってくださいね。とネパール語でゴビ君に言っていたそうだ。
「この辺の人も同じ言葉を話すの?」
「いや、少し違うけれどほとんど問題ないよ。」

 高度が3000mを越えているので歩いていると息がきれる。ゴビ君はどんどん先に行ってしまう。私たちが立ち止まって休んでいたら、フランス人の男の人がやってきた。
「日本人ですか?」
「そうです。」
「私の妻も日本人です。」
後ろから、彼の奥さんがハアハアいいながらやってきた。
「こんにちは。高度障害で頭が締めつけられるような感じなんです。あなたたちは大丈夫?」
といってかなり辛そうに歩いていた。
「それは大丈夫なんですけれど、足が痛くって早く歩けないんです。」
「私も前に来たときはそうだったんですけど今回ネスカファという粉を飲んだら全然筋肉痛がないんですよ。いろいろ栄養素が入っているんです。タトパニのスーパーマーケットで買ったんですよ。」
それは私たちも是非手にいれたい物だ。

 ジャルコット12:30 昼食。私たちが食事をしていると欧米人のファミリーがやって来た。両親と小学校低学年くらいの女の子と男の子とネパール人のガイドらしき女の子の5人。とても家庭教育がいいという感じだ。彼らは全員同じメニューのものを食べていた。

 14:30に再び出発。
 15:30チベット仏教とヒンズー教の聖地ムクチナート(標高3802m)着。道のあちこちで埃まみれのふわふわの犬が昼寝をしている。チェックポストでスタンプを押してもらう。トロンパスを越えてきたという精悍な青年がゴビ君にこの次の村までどのくらいか聞いた。
「あなただったらきょう中にジョムソンまで行けますよ」
とゴビ君が答えた。

 ホテルに荷物を置いて、丘の上のヒンズー教やチベット仏教のいくつかの寺院を見学。草木のない荒涼とした土地なのに寺院の回りには木が植樹されている。フランス人と日本人の夫婦にまた逢った。
「ここを右手のほうにいった寺院では水の上で天然ガスの炎が燃えていてとても神秘的でしたよ」と教えてくれた。
さっそく私たちもいってみたけれど、すでに寺院の中には人はいなくては鍵がかけられていた。

 きょうのホテルは渋い外観には似つかわしくなく、食堂の壁一面に、ガンズ・アンド・ローゼス、ボンジョビ、ポイズン、といったヘビメタ・ミュージシャンのポスターが貼り巡らしてあった。
 その晩、ゴビ君が明日の早朝、ヒンズー教の寺院にお参りに行きたいので、身を清めるためのシャワー代20ルピーとお賽銭5ルピーを貸してほしいと言ってきた。とにかく今、彼はまったくの一文無しなのだ。それから、石鹸とシャンプーも貸してください。でも、歯ブラシと歯磨粉は持ってた。
「シャワールームはホテルから300mくらい離れているので遅くならないうちに早く行った方がいいよ。」
シャワーから戻ってくると
「20ルピーで5分間しかお湯が出なかった」
と言ってコタツテーブルに手足を入れた。

 夕食時、身振り手振りを交えてヒマラヤ登山隊はどんなに頑丈な人でも山頂近くではすごく息切れして一歩踏み出すのも一苦労だという話をした。ゴビ君は今までにトロンパス3回、アンナプルナベースキャンプ、エベレストベースキャンプにそれぞれ数回、ダウラギリベースキャンプに1回行ったことがあるそうだ。
「将来はカトマンドゥのトラベルエージェンシーに就職して高所ポーターになりたいんだ。給料も今の10倍なんだ。」
寝る前にホテルから50mくらい離れた丘の上のトイレに行ったときダウラギリとトゥクチェピーク周辺の山々が白く満月に照らし出されていた。



12/10
 早朝お参りに行ったゴビ君は、眉間にティカという赤い粉を付けて帰ってきた。

 8:10ホテルを出発。登りの時はつらかったけど、下りは以外に楽に歩けた。

 13:00ジョムソン着。ムクチナートで逢ったフランス人と日本人の夫婦の泊まっているホテルに遊びに行って、いろんな話をした。ふたりはパリの冬はとても寒いので、毎年10月から3月頃まで旅行をしているそうなのです。ご主人は骨董品屋をやっていてバリ島にも支店があるとか。今はもうリタイアして店は他の人に任せているらしい。日本の事も詳しくて、四国の金比羅さんはすばらしいから是非行ったほうがいいですよと逆に勧められてしまった。彼らもポーターを連れていたのだけれど、初めに雇った子はすごく足が速くて、ひとつ先の村まで荷物を持ったまま行ってしまって、その晩ふたりは寝袋もなく寒い思いをさせられ、次の日クビにしたそうです。次に雇った子はふたりの後ろをふうふういいながら歩いていて、途中休憩の予定のなかった所でどうしても食事させてほしいと言い出したりとか、けっこう苦労したようです。



12/11
 朝、飛行機が舗装されてない滑走路から離発着するところを写真に撮っていたら、ポカラで逢った日本人が飛行機から降りてきた。彼はジョムソンに二泊くらいしてまた飛行機でポカラに帰ろうと思ってるんですよ。と言っていた。ゴビ君がふざけて一日20ドルでガイドしてあげるよ。と言うと。いいよお金ないから。と断った。それでゴビ君が、ははは冗談だよ。タダだからついてくれば。と言ったら、本当についてきてしまった。

 9:00ジョムソン発。それまでずっとチベット的な荒涼とした風景だったのに、10:45マルファ(標高2667m)に着くと一変して林檎の木が辺り一面にはえていて、街じゅうに林檎の香りが漂っているのです。いつもわざとさびれた味のあるホテルに泊まるのだけど、きょうはゴビ君のお勧めのホテルに決めた。さっそく散歩に出かけて、アップルパイを食べたり、ゴンパ(チベット仏教の寺院)を見に行ったりして、ホテルに戻ると、ゴビ君はポカラでのルームメイトのラムちゃん(ラムチャンドラー)に偶然逢えたところで、ふたりは例の日本人にアップルブランデーをおごってもらってすっかり意気投合していた。

 その後、再び散歩に出かけてチベット工芸品の店で買い物をしているとゴビ君がやってきて
「一体ここで何をいくらで買ったの?だめだよこんなところで買い物しちゃ。ポカラとかカトマンドゥの方が全然安いんだよ」
としかられてしまった。

 ネパールに来て、ここが初めて他の泊まり客がいるホテルだ。夕食時、同じテーブルの人が話しかけてきた。
 彼らは、オーストラリア人(男)、イギリス人(男)、スウェーデン人(女)、スイス人(男)、アメリカ人(男)で、ポカラで初めて出逢って、アンナプナ一周トレッキングをしているところだった。すでに標高55416mのトロンパスを越えていて、きょうはムクチナートからきたところだった。
「トロンパスの向こう側は食事といえばダルバートンタルカリだけだったけど、ここにはピッツァもスパゲティもコーラもあるし、ほんと天国だよ」
 オーストラリア人はニック・ケイブのファンで音楽の話にも花がさいた。
 そのころラムちゃんのホテルに遊びに行っていたらしいゴビ君が帰ってきた。いつもは素直ないいヤツなのに、きょうのゴビ君はまるで人が変わったみたいにイギリス人とオーストラリア人につっかかっていく。しまいには、アメリカ人が怒ってしまった。なんとなく気まずいムードなって、今夜はもう寝ることにした。



12/12
6:30に起きて、7:00山の中腹にあるゴンパにラマ(チベット僧)が水をお供えに行く時に同行して写真をとる。

 8:40出発。ゴビ君にきのうの晩どうしてあんな風なことを言ったのかきいてみた。すると、
「イギリス人とオーストラリア人はいつも冗談ばかり言うから、僕も冗談を言っただけだよ」
と全然悪気はなさそうだ。たぶん以前に、誰かにきつ〜い”冗談”でからかわれたのかな?

 トゥクチェ(標高2591m)10:15。このあたりからはダウラギリ(標高8167m)が一番大きく迫って見える。途中、氷のように冷たいカリガンダキ川を靴を脱いで渡った。

 15:00カロパニ(標高2530m)到着。ゴビ君は真っ先にキッチンへ行ってフライドライスの大盛りを注文している。私たちもひとりひとりキッチンへ行って注文。
 ジョムソンからついてきた日本人と初めてお互いに自己紹介をする。ゴビ君は彼をダイ(にいさん)とよんでいたのでいつのまにかそれが呼び名になってしまった。
 ダイは万歩計や方位磁石をもっていたので、ゴビ君は興味津々。ダイは名古屋の人で、以前は東京で不動産屋に勤めていたそうだ。見るからに人の良さそうな彼は売上げ成績が悪かったので、会社にマンションを強制的に買わされたそうだ。ところがバブル景気でぐんぐんその値が上がって、それを売って、名古屋にマンションとオーストラリアに家を買ったそうだ。全く予期せずバブルの恩恵を受けた人なのだ。

 きょうのホテルはきのうより、さらに泊まり客が多くて一段とにぎやかだ。コタツテーブルに座って、ゴビ君のネパール語教室が始まった。
トパイン ラムリイ ウヌンツォ(あなたはキレイです)。
モォ ティミライ マヤゴルツォ(I LOVE YOU)。
すると突然となりに座っていたスペイン人が
「えっなになにそのネパール語のI LOVE YOUを教えて。」と会話に参加。
その後は、彼も加わっておもにナンパとディスカウント用語講座になってしまった。
 その時ゆうべ一緒だったイギリス人が窓の外を手を振りながら通りすぎていった。さらに次の村まで歩くのだ。うーんやっぱりタフだなぁと感心してしまう。

 夕食後のデザートに食べたチョコレートムースはドロリとした甘ったるいクリームだった。オヤスミナサイ。ゴビ君が毛布を持ってきてくれた。



12/13
 8:50出発。10:40ガサ(標高2013m)。途中何度も休憩してそのたびにミルクティやコーラを飲むものだから、ゴビ君は私たちにあきれてしまった。

 きょうはタトパニまで行くと言っていたのにその手前のダナ(標高1446m)に15:15に着いたところで疲れ果ててしまった。ホテルにラジカセがあったのでゴビ君がネパールでナンバーワンというテープをかけてくれる。ところがテープがのびきっていてとても聴けたものではなかったのです。ゆうべのネパール語講座の成果を試してみよう。ホテルの女の子に
「トパイン クー ナム キホ(名前は何というの?)」
ときいてみた。
「スシーラ」
もう一人の女の子を指さして
「ボイニ(妹)?」
ときくと違うと答えた。
 そういえば服装も全然違うし、小さいほうの子は裸足だ。
 おじいさんがいたので
「バージィ トパイン カティー バルサ バイヨ(おじいさん、あなたは何歳ですか?)」
ときくと意外にも38歳という答えがかえってきて驚いた。
 きのうゴビ先生がネパールではだいたい35歳過ぎた人はバージィ(じいさん)、アムイ(ばぁさん)と言っていた事を確信した。

 また今夜も突然停電。さっきのバージィが壊れた懐中電灯をもってきて直してほしいという。どれどれこれはミニマグライトだからスペアのフィラメントが入ってるんだ。電池もないので、ダイがそれじゃぁこれはプレゼントと自分の電池を差し出して、付けてみた。
「あっ直った!」
 これは、以前に足をケガした日本人がこのホテルにしばらく泊まっていて帰るときにお礼に置いていった物なのだそうだ。
 パッと部屋の電気もついたら、さっきまで起きていたはずのおかあさんが寝てしまっていた。
 まだ夜9時だというのに本当にみんな早寝早起きなのだ。



12/14
 朝食を食べに下へ降りてみるとなんだか様子が変だ。3人の村人らしき人たちがすごい剣幕で文句を言いに来たようなのだ。ホテルのだんなは大きな帳面を見ながらブツブツいっている。一体何が起きたのかゴビ君に聞いてみても、笑いながら後で説明するからとしか言わない。

 8:55ホテルを出たところで、やっと何が起きたのか説明してくれた。実はあのホテルのバージィはこの村一番のビッグボスで、あそこに集まっていたのはその使用人たちだったのです。ネパールでは最低労働賃金は1日60ルピーと決まっているのに、彼らはちゃんと支払ってもらえていないのだ。ところがビックボスの帳面には支払い済みになっている。そこで百姓一揆が起こったという訳。そういえば、あのおっさんあこぎな庄屋って顔してたなぁ。
「今朝、使用人のおじさんはタルカリ(野菜)抜きのダルバートを食べていたよ。」
「いや、それはダルツァンパで、米じゃなくて麦こがしのカレーだよ。貧乏人はダルツァンパなんだ。僕の実家でも毎日食べてたし、なにしろあのおじさんはすっごく貧乏だからね。」

 きょうは一回の休憩で10:45タトパニ(標高1189m)到着。タトパニとはHOT WATERの事で、ここには温泉がある。昼食を済ませて、水着を買ってカリガンダキ川の川辺にある露天風呂にいってみる。

 すると一足先に行っていたゴビ君はもうお風呂からあがっていた。あれ、水着持ってなかったのにどうやって入ったのかな?実はゴビ君は下着のパンツでお風呂に入って、今はノーパンのままジーパンをはいているのだ。しかも着替えは一切持ってないのにシャツと靴下も洗っちゃったんだって明日までに乾くのかな。温泉は外人のみ入浴料3ルピーとられる。ネパール人はタダ。

 そばにあった茶屋でミルクティを飲んでいたら店の子供が日本では1日いくらの給料がもらえるの?ときくので、だいたい3000ルピー(7500円)というと、うちのとうちゃんは日本で5000ルピー(12500円)も稼いでると言って、ちょっと得意気な顔をした。

 タトパニは暖かいので、オレンジ畑がたくさんあるし、いたるところに様々な花が咲き乱れている。カリガンダキの谷間にはニルギリの白い山頂が見える。店もたくさんあるし銀行もある。旅の途中の”パラダイス”といったところだ。食事のメニューもモーニングセットからチキンカレーまでとよりどりみどり、しかもおいしいのだ。

 オーストリア人のおばさんといっしょだったポーターのモネ君が私たちの泊まっているホテルのレストランにやってきて、僕もこのホテルに泊まりたかったけど、なにしろすべては客次第だからねと言ってしょげていた。

 私たちはお茶を飲みながらゴビ君に日本の山の話をした。1000m級2000m級の山をピッケルやアイゼンを使って登ったり、時には滑落して命を落とす人もいる。富士山は3776mで日本では一番高い山だけれど、五合目までは車で登れるし決して難しい山じゃない。それを聞いてゴビ君はげらげら笑い転げた。なにしろネパールの1000m2000mというのは山ではなく3000m級でも”丘”というし、まして車で登れる山なんて皆無なのだから、理解するのもむずかしい話だ。

 今度はゴビ君のトレッキングの話。5月はインディアンシーズンで、ポカラは避暑にやってくる金持ちインド人だらけになるらしい。彼らはトレッキングにいく人はほとんどいかないそうだ。それぞれ季節によって、イタリアンシーズン、ジャパニーズシーズンがあるそうだ。トレッキング客で一番多いのが日本人、次がイタリア人、三番がドイツ人、以下その他の国々。どうしても一緒に仕事したくないのは、イスラエル人だという。彼らと仕事をすると必ずトラブルが生じるそうだ。仲間でも旅の途中で大喧嘩になって、しまいには相手の額を石の塊まりでかち割った奴がいたそうだ。だいたい原因はお金の問題だ。

 夕食後ダイがゴビ君におごったビールの栓の裏ぶたをはがすと3ルピーのあたりだった。ネパールのビール、コーラ、ジュースのふたはクジになっていて一等賞はテレビなのだ。さっそくゴビ君は大喜びでそれをホテルのカウンターに持っていった。このホテルにはポーターたちの食事をする所が別になっていて、ダイはそこでゴビ君と酒を飲むことにしたらしい。私たちは隣のホテルに遊びに行くことにした。

 隣ではモネ君の姿は見かけないけれど、オーストリア人のおばさんを初め、今まで逢った人たちのほとんどが泊まっているみたいだ。トロンパスを越えてきたオーストラリア人とイギリス人のテーブルに同席させてもらう。
「こんにちは!!また逢ったね。なぜ、このホテルにしたの?」
「なにしろ、この村の一番最初のホテルでしょ。それに、音楽だよ!」
 そういえば、ここだけはロック・ミュージックをながしてたね。
「今までこんなとこなかったよ。あっこの曲、ジーザスジョーンズだ。ほんとにここは天国だよ。」
 オーストラリア人の注文したチョコレートケーキがきた。すごく大きくておいしそうなので、私たちもイギリス人も同じものを頼んだ。ポカラでもそうなのだけれど、安い店ではリーフ・ティーなのに、高級な店で紅茶を飲むとなぜか必ずティーバックなのだ。もちろんここもそうだ。ホテルのオーナーがテーブルにごきげんうかがいにやってきた。何かにつけて欧米人好みになっているのだ。

 イギリス人は以前レビューというロックバンドでベーシストをやっていて86年のCNDフェスティバルにもでたことがあるという。当時インディチャート一位になったこともあるそうだ。

 オーストラリア人はまだ21歳。最初は銀行員だったけどぜんぜん自分のタイプの仕事じゃなかった。それからはイギリスのおじさんの農場で働いたりしながら旅をしてる。去年はアフリカを半年旅行したそうだ。

 また音楽や旅の話をしているうちに気がつくと夜10時になっていた。明日の朝早いのでまたといって、私たちのホテルに戻るともうみんな寝静まって真っ暗になっていた。



12/15
もう私たちが朝食を食べ終わるというのに、いつも朝一番に起きているはずのゴビ君の姿が見当たらない。もしかして寝坊してるのかな。心配してダイが捜しに行くと、ネパール人のコーナーにいた。
「そんなとこにいたの?朝飯食ったらすぐ出発だからね〜」

 8:30ホテルを出る時、今度は蜜柑をたくさんもらった。ダネワード(ありがとう)。きょうはいきなりすごい上り坂だ。ヒイヒイいいながら登っていたら、登り詰めたところでゴビくんが
「エクスペディション サクセース!(登頂、成功)」
と言って笑った。


Thorong Pass team
 おや、またこんなところで夕べのトロンパス・チームに逢ってしまった。ふたりは一足先に着いて休憩をしていたようで、これから歩き始めるところだった。
「シー ユウ ザ ロッジ」
といって別れたけれど、足の遅い私たちはその日のうちに、彼らと同じ村にはたどりつけなくて、その後もう逢うことはなかった。

 ここからはマウントフジだから大丈夫だよとゴビ君。ところがすごいアップダウンなのだ。
 トゥデイ アムイ(ばあさん) ベリィ タイアード。
 バージィ トラトラ(少し) タイアード。
 バイ(弟) ノー タイアード。
 いつのまにか、私たちはじいさんばあさんにされてしまった。

 4:30ようやくチトレ(標高2316m)に着いた。
 ロッジのストーブにあったていたらオーストラリア人のカップルが(A:オーストラリア、M:モントン)
A:「きょうどこから来たの?」
M:「タトパニ」
A:「じゃ、同じだね。」
M:「でも私たちものすごく歩くの遅かったんですよ。」
A:「それは、一緒だと思うけど。」
M:「えっでも私たちここまで8時間かかったんですよ。」
と言ったらさすがに驚いてた。
 彼のほうは16年前にも来たけれどずいぶん変わったそうだ。バージィ(モンカ)も13年前に来ているのでふたりで昔話になった。当時は電気もなかったし、ミネラルウォーターもなかったし、食べるものといえばダルバートンタルカリだけだった。
「ところで電気はいつついたの?」とゴビ君にきくと
「もう大昔だよ。3年前かな。」

 後ろのテーブルではイギリス人男性のふたりがバードウォッチングの記録をつけている。学者なのかと思ったらただの趣味なのだそうだ。見せてくれた鳥類図鑑にはこの地方で見られるすべての種類に小さなブルーのシールがつけられていたが、かなりの数だ。

 真っ暗な中をカロパニのホテルで一緒だったスペイン人のカップルが懐中電灯を照らしながらやってきた。このあたりは足を踏み外したらケガどころか命さえも危ないような所もあるのにまったく不用心だなぁ。

 ゴビ君がプレート版ビリヤードをどこからか持ち出してきた。まずは、ダイと第一戦。これがゴビ君の強いことといったら半端じゃない。何回やっても負け知らずなのだ。
 ようし今度はバージィが相手だ。あれっ一回戦目ゴビ君の負けだ。おかしい。これは絶対何かの間違いだ。とゴビ君は負けを認めない。
 でもそれから後はずっと勝ち続けて、ゴビ君の圧勝だった。今度はホテルのおねえさんも加わって3人戦だ。このおねえさんもすごく強い。んーもう一回。後もう一回だけ。といっているうちにストーブのまわりは誰もいなくなってしまった。
 まあ、きょうのところはこんなとこでやめときましょう。ゴビ君きょうも毛布をお願いします。毛布がないので寝袋でいいですか?OK。
オヤスミナサイ。スバラトリ(おやすみなさい)。

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