21.Dec.2006 出国 10.Jan.2007 帰国

ETHIOPIA / ADIS ABABA   GONDAR



1.Jan.2006 Mon 晴れたり曇ったり

きょうから2007年。でもエチオピア暦では1999年12月23日。なので街は通常通り。エチオピア暦では1月から12月まですべて30日になっていて1年のうち余った5日(うるう年のときは6日)は13月になっている。なのでクリスマスは西暦の1月7日、エチオピア暦の12月29日になる。ちなみに時間もエチオピアでは朝の6時が0時。昼の12時が6時となる。なのではじめは街の食堂などの時計がみんな狂っているのかと思った。

朝9時頃、おとといスーパーマーケットで買ったインスタントラーメン、パパイア、紅茶。

10時半頃、この日は元々予約で満杯だったため、すぐ近所にあるホテル Capra Walia Inn に移動してチェックイン。1泊200 ブル。
きのうまでのフォゲラ・ホテルと値段はほとんど同じで、こちらにはテレビがついているけれど、かなり狭いし、ビジネスホテルみたいな味気ない部屋でがっかり。

12時頃お湯を沸かしてインスタントラーメンを作って食べた。

散歩。

パインとアボカドとパパイヤのミックスジュース。

銀行で両替。1US$=8.75ブル 200US$

日本語が表示されるインターネットカフェでメールチェック。
そこにヨハネス登場。ちょっと話す。

街を歩いていたら、また友達と一緒のヨハネスに逢った。
モンカがヨハネスの写真を撮った。

またパイン、アボカド、パパイヤミックスジュース。
今度は三段重ねの順番が逆だった。

夕方からモンカ体調悪化。



2.Jan.2006 Tue 晴れたり曇ったり

朝起きたらモンカだけが南京虫に20カ所くらい刺されていた。

ホテル朝食。トースト、オムレツ、コーヒーミルク。

空港までタクシー。60ブル。ゴンダールよりアディスアベバに移動。

空港のおみやげコーナーでゴンダールの十字架110ブルと布30ブルを買った。

アジスアベバ空港からタイトゥホテルまで。60ブル

Mohmoud Ahmed さんのショップへ行って売っていたカセット17種類を購入。

モンカ体調悪化。

夜、ホテルでスペシャルベジタブルライス。
 



3.Jan.2006 Wed 曇りのち晴れ

ホテルで久保田麻琴さんに紹介してもらったガイドのアマニュエルさんに電話をして、タクシーでボレ・ロードにある彼のオフィスに行った。いかにもばりばり仕事をしている旅行会社という感じ。アマニュエルさんは社員22人の会社の社長さんだった。
アマニュエルさんの車で妹のティティナさんと4人で中華レストランへ行って、食事をしながら打ち合わせ。
ベジタブルヌードル、チャーハン、白菜と椎茸炒め、肉の辛い煮込み。

2時ごろ、アマニュエルさんにフィルオハ、スパ・サービス・エンタープライズまで車で送ってもらう。

きょうは人が多くて20分くらい待たされたけど、たっぷりのお湯できょうもリラックス。で、締めはカフェでミックスジュース。

ミニバスでスーパーマーケット。
アボカド、小さいライム、ビスケット、紅茶ティーバッグなど食料をいろいろ買い込む。

タクシーでホテル。17ブル。

20時半、ホテルでスペシャルベジタブルライス。

23時過ぎアマニュエルさんの助手タザラさんが20人くらい乗れる大型ワゴン車で登場。空港にベルギーのお客さんを出迎えに行ってホテルまで送り届けて来たそうな。

ゲネット・マーシレシャさんのアズマリベットに行く。
ゲネットさんのCD は街の CD ショップでもオススメされた。
ゲネットさんは現在36歳で、マシンコ奏者の息子は21歳と言っていた。
お店に到着するのがちょっと遅れてしまって、ゲネットさんは少しお疲れの様子だった。
何曲か歌ったあとCD をかけていた。

酔っぱらってはしゃいでいるオヤジとモンカが困った顔をして並んで座っている図がなかなかおもしろかった。
そのオヤジやたぶんゲネットさんの身内と思われる女の子にもおごって欲しいと言われておごることになったのでそろそろ帰ることにした。
今まで行ったアズマリベットの中で一番よかったけれど、後で会計したら390ブルで写真撮影料だけで300ブルも取られてしまった。

タザラさんはきょうあわてて来て途中タクシーと接触事故を起こしてしまい車に傷をつけられてしまった上にタクシー運転手に500ブル取られたといってちょっとがっかりしていた。ホテルまで送ってもらった。
「アマサグナロ」とアムハラ語でありがとうと言ったら、タザラさんはにっこり笑って日本語で「ありがとう」と言っていた。



4.Jan.2006 Thu 晴れ

お湯を沸かしてインスタントラーメン。パパイヤ半分。

ピアッサ散歩。
モンカ洋品店でスーツ買う。
サイズちょうどぴったりで裾上げだけ頼んだ。196ブル。

CD屋でTeddy Afro などを買う。

銀行で両替。1US$=8.77ブル。300US$

コーヒーのおいしいエチオピアで一番おいしいコーヒー屋さんトモカ・カフェでマキアート。お店は地元の人や観光客で満員。
エチオピアにはマクドナルドもケンタッキーもスターバックスもないところが好感持てる。

スーパーマーケットで買い物。
BOOK WORLD でエチオピア音楽の本「ABYSSINIE SWING」とlonely planet のアムハラ語会話帳「ETHIOPIAN AMHARIC PHRASEBOOK」を買った。

戻る途中トモカ・カフェの前でタザラさんにばったり逢う。きょうも大型ワゴン車を運転してドイツ人観光客をトモカ・カフェに連れてきたところだった。
きのうの事故で自腹で払ったという500ブルについて、少し負担してほしいみたいなことは一切言ってこなかった。なので半分の250ブルをカンパしてあげたらものすごく感謝された。

 洋品店で裾上げのできたスーツを受け取って、カフェでミックスジュース。

ホテルの前で逢った青年とあしたの朝9時に一緒にマルカートへ行く約束をした。

20時30分にホテルからタクシーに乗り、アマニュエルさんと合流。そしてまず、アマニュエルさんのお客さん、ドイツ人観光客16人がショーを見ながら夕食を摂っているレストランへ行った。アマニュエルさんはひとりひとりに握手しながら丁寧に挨拶していた。ドイツ人観光客16人はエチオピアで最後の夜を楽しんでいたところで、この後、昨日からほとんど寝ていないというタザラさんが運転する大型ワゴン車で彼らは空港へ行き、夜の飛行機でドイツに戻っていくのだ。ドイツ人観光客はみな、とても楽しかったようでアマニュエルさんに感謝していた。素晴らしい仕事ぶりだった。

その後、アマニュエルさんの車で coffee house へ行って、ジャズの生演奏を観る。
パーカッション Abeye Ford がレジェンダリーな人だった。

ハーレム・ジャズ・クラブに行ってみたけれど、休みだった。

TG(Tigist) のアズマリベットへ行った。
ここは現代的なアズマリベットで今まで行ったところとは雰囲気が全然違っていておもしろかった。1台のキーボードだけをバックに歌うというスタイル。歌手も5人くらいいてジョニーという若い歌手がなかなかよかった。知らないお客さんたちと一緒に踊った。

TG のお兄さんの店に移動。ここでもいかにもエチオピアっぽいハチロクのリズムを出す1台のキーボードだけをバックに歌っている。エチオピアではバンドを維持するのが難しいためか、1台のキーボードだけをバックに歌うライヴを行っている店がかなりありそうだ。

モンカが「エチオピアも発展すればラゴスやヨハネスブルクまでとはならなくてもナイロビぐらいには治安が悪化するんじゃないか」と言ったら、アマニュエルさんが「エチオピアは絶対にそうならない。非暴力的なのはエチオピアの文化だからだ」と熱く語りはじめて止まらなくなってしまった。アマニュエルさんはかなり酔っぱらってしまってへべれけになった。モンカがお勘定を済ませてなんとかなだめながら車でホテルに向かった。当然アマニュエルさんは飲酒運転。
途中犬が道路に飛び出してきて車にぶつかった。
モンカはその犬がキャンキャンと鳴きながら走って行くところを見たと言っていたけど、アマニュエルさんは「彼は死んだかな。死んだよね。わたしは知っています」と言って胸で十字を切っていた。



5.Jan.2006 Fri 晴れ

朝9時ホテルの前に行ってみるときのうの青年が待っていた。
名前はアセオワ。
一緒に歩きながらアムハラ語を少し教えてもらった。
ミニバスに乗ってマルカートへ行った。
ミニバスで立派なドレッドロックスの人が前に座っていたら、アセオワが「ぼくも彼みたいな髪型にしたいんだよね」と言っていた。

マルカートに到着すると
「欲しい物があったらここで買った方がいいよ。何でも安いから。
物を取られるかもしれないから荷物をしっかり前に持ってね。
もしも悪いやつが来たら僕がパンチを見舞わすよ。」
と言ってアセオワはパンチする真似をしてにっこり笑った。

マルカートは問屋さんと市場が合体したような街。
アフリカ一の規模の市場。
道には人と車と荷車がごった返している。
モンカは写真を撮りながら歩いている。

日用雑貨、衣料品、スパイス、コーヒー豆、ニワトリ、クリスマスツリー、などなどここにはないものはないと言われている。

新鮮なコーヒー豆は淡いグリーンだった。

アセオワの友達のおみやげ屋さんへ案内してくれた。
そこにはおみやげ用の安いイコンと古いイコンがいくつかあって、古いイコンでいい物があって欲しくなった。
値段を聞いてみると200US$ で値引きは出来ないという。
うーーーん。
お茶を飲んで考えることに。
 というか実はお財布にお金がなかったので隠し金を出さなくてはならなかったのだ。
3人で近くのカフェでコーヒーを飲みながらモンカはトイレに行って秘密のドルを用意して、その間わたしはアセオワにアムハラ語を教えてもらっていた。
準備ができたところでもう一度お店に戻って、イコンにふたつの十字架をつけて200US$ でどうかと聞いた。
だめだめ値引きはできません。
結局200US$ +200ブルでイコンとふたつの十字架を買った。
おまけで十字架のペンダントもつけてくれた。

タクシーでピアッサまで戻って、アセオワにありがとうと言って50ブルを渡したら、これじゃ少なすぎるとクレームをつけられた。
「でもいくらでもいいって言ったじゃない」
「こんなに少ないとは思わなかった」
「じゃぁなぜきのういくらでガイドするのって聞いたときにそう言わなかったの?」
「もっとくれると思ったから言わなかった」
「きょうのガイド料は50ブルで十分だと思う。ホテルのレセプションの人に聞いてみます」
「OK聞いてみてください。後でホテルの前で待ってますから」
というなんとも後味の悪い別れ方をしてしまった。

わたしたちはCD屋へ行ってTG(Tigist) のCD  など買い物をしてから、ホテルに帰った。
アセオワが待っていたので、すぐにレセプションの人に聞いてみるとマルカートを2時間ガイドしてもらったなら、85ブル だね。と即座に言われた。ドル計算で10ドルが相場のようだ。
追加分35ブル をアセオワに渡すとありがとうと言ってニコニコしながら帰って行った。

モンカ、カメラのバックアップ作業。

21時、ホテルの近くを散歩。
CAVE HOTEL のナイトクラブに行く。
DJ タイムが終わると歌手が登場してここでも1台のキーボードをバックに歌っていた。
ちょっとアルジェリアのライみたいな感じがした。

そのときショートドレッドの青年が現れて
「きょうわたしのお店に来てくれたでしょう。
どうもありがとう、あなたたちはわたしのお客さんです。
ここに座ってもいいですか?」
と言ってわたしたちのテーブルの空いていた椅子に座った。
このときイコンを買ったお店の人だと思いこんでしまった。

青年はヨナスという名前で日本語が少ししゃべれた。
「わたしの名前はヨナスです。お元気ですか?」
明るくて感じの良い青年でときどきフロアで踊ったりしながらビールを飲んでいた。
ポケットからピーナツを取り出すとわたしたちにもすすめてくれた。

「きょうはクリスマスイブだからトラディショナアルな店に行くとセレモニーみたいな感じでスペシャルなんだよ。行ってみませんか?」
「わたしたちはトラディショナアルな店はたくさん行ったのでここのようなモダンな店の方が興味あるんだよね」と言ったらちょっと困っていた。
「でもきょうはスペシャルだから」と何度も言うので、じゃ行ってみようかということになった。

ヨナスのボスという人が現れて4人でタクシーに乗った。わたしたちがタクシー代払うのかなと思っていたら、きっちり割り勘だった。

明かりがなくて暗い道を行くとトタン板に囲まれたところに入って行った。
店の中は妙に明るくて20歳くらいの女の子が5~6人いた。
お客さんは誰もいなかった。
「あれ?早く来過ぎちゃったかな」てボスが言った。
わたしたちはコーラを注文した。
ボスは「タバコを吸ってきます」と言って外へ出て行った。
女の子たちが次々に挨拶にやってきて握手して踊ろうというので一緒に踊っていた。
女の子のひとりがやってきて何か飲み物をおごってほしいというのでいいよと返事した。
わたしたちはずっと踊らされていたのだけど、席に戻ってびっくり。
テーブルには中身がほとんど入っていないヘネシーのボトルが。
女の子たちは偽ヘネシーに違いない液体の入ったグラスを手に口々に「サンキュー」て言っている。
モンカがやばい!早くここを出なくちゃ。
「ヨナス、ちょっと胃の調子が悪くなってきたから帰るよ」というとウエイターの白衣を着たオヤジが請求書を持ってきた。

1360ブルと書いてある。日本円だと約18000円!

「ヘネシーはフランスから運んだものです。わかりますね」
とか言っている。ヨナスは
「えっ!彼女たちにおごっちゃったの!?」
とか言っている。

ぼったくりバーにハメられてしまったのだ!!!

お財布とポケットに入れていた有り金全部を出したけど、全然足りなかった。
モンカは暴れたり叫んだりして逃げるとどうなるか考えたようだが、まだ数日アジスアベバにいるので、ここは1360ブル払ってしまうことにする。
睡眠薬強盗なんかもそうだと思うけど、本当にハメられるときは、物騒な気配が全くない良いヤツみたいのが現れてストーリーに乗せられるのだ。
う~ん、ちょっと痛い授業料だけど、後から考えればおかしいと気づくべきサインはいくつもあった。トラディショナアルな店と言っているのにそれは衣装だけでマシンコ奏者もいなかったし、超へたくそな太鼓を叩いている女の子がいただけで音楽はしょぼいラジカセでカセットをかけていた。

偶然の出会いや面白い成り行きに乗るのは旅行の一番のポイントだけど、良い偶然と悪い展開を見極めるスキルをもっと磨かなくいてはいけない。

ホテルに戻ってお金を持ってくるというと
それならどの娘を連れて行くんだ。これか?これか?
って違う違うお金を取りに戻るんだよ。
それは困る、それなら代理人と一緒に行ってくれ。
タクシー代は出すから料金はちゃんと払ってください。

ということでもうひとりオヤジが現れて3人でタクシーに乗った。
わたしたちが店を出るとき新しいカモと思われる白人男性ひとりが店に連れられてきたところだった。
タクシーの中でオヤジはヘネシーはフランスのコニャックでとても高いとか、わたしたちの店にはJICAや大使館の人も来ていると言っていた。
ホテルに帰ってお金を支払うと「ありがとう、また来てね」と言ってオヤジはニコニコして帰っていった。



6.Jan.2006 Sat 晴れ

ピアッサ周辺散歩。郵便局。
いつもと反対側を歩いてみる。
クリスマスなので街は車が少なかった。
おしゃれしている人が多かった。

おしゃれな Raizal cafe というカフェでミックスジュース、チーズバーガー、エッグサンドイッチ。チーズバーガーとエッグサンドイッチが巨大で残してしまった。隣の人は一個のチーズバーガーをふたりで食べていたので、次回はそうしようと思った。

カフェでマキアート、ミルク。

丘の上のカフェ。コーヒー、ジンジャー入りティー。ホテルの紅茶はティーバッグだけど、地元っぽいところで紅茶を頼むとジンジャー入りのことが多かった。アムハラ語で「紅茶」は「チャイ」なのだけど、ミルクなしのチャイみたいな感じ。

2時頃タクシーでショッピング・フェスティバルの会場。
インド人のインスタントラーメンのブースから様々な雑貨、衣料品、食品などのブースが出ていた。
BOOK WORLD のブースでハイレ・セラシエの写真集と言葉集の3冊組を見つけたけれど、ブルオンリーだったのでお金が足りなくて買えなかった。
月曜日買いに行くので取っておいてもらうことにした。

ライヴのステージのところでDJ がプレイしていたのでモンカ写真を撮って、出力したポスターの写真を見せてきょう出る人を聞いた。

ライヴは17時からなのでコーラを飲みながらひたすら待つ。

やがてステージ周辺に人が集まりはじめて司会者が登場。
DAWIT BAND の演奏で前座のミュージシャンが何曲か歌った後、 DAWIT さんが「カントリー・ロード」をエチオピアにした替え歌と「NO WOMAN NO CRY」を歌った。

最後に今朝サウジアラビアでのコンサートから戻ったばかりというTADDALAA GEMMACHU(GAMMACHU)さんが登場すると、お客さんが前に押し寄せてきた。このとき観客は3000人ぐらいいたが、反応が凄くて明らかに今のエチオピアを代表する歌手の一人のようだった、
3曲歌った後、アムハラ語で平和という意味の歌を2回歌った。

その後マイケル・ジャクソンのそっくりさんが登場してムーンウォークをしたりしていたけれど、わたしたちはホテルに帰った。

ホテルのレストランでドロワットライスを注文したら、ドロワットとインジェラが出てきた。インジェラは例の直径60センチくらいあるやつ。
ウエイトレスに「ドロワットライスを注文したんだけど…」というと「ドロワット・ウイズ・ライスとは言わなかった」と言われてしまった。
でもモンカがインジェラは食べられないというのでライスを追加注文した。
それなのにモンカは一口だけライスを食べてもういらないと言って残してしまった。
仕方がないのでわたしがひとりでドロワットをかけてインジェラ半分とライスを全部食べた。



7.Jan.2006 Sun 晴れ

きょうはエチオピアのクリスマス。
夜中1時頃目が覚めたらお経のようなアザーンのような声が聞こえていた。紅茶を飲んだりしていたら3時頃まだその声が聞こえていた。
朝起きてアムハラ語の会話帳の年中行事のところにクリスマスにはオールナイトでミサが行われると書いてあった。

8時頃ドスドスという音がするので工事でもしているのかと思ったら、裏庭で従業員の人たちが12~3人集まって解体したての牛肉を食べていた。
断食明けなのだった。お肉解禁。
2~3日前から牛がいるなぁと思っていた。わたしは見に行かなかったけど、モンカが様子を見に行くと食べてごらんと言われたそうな。でも食べなかったんだって。ちょっと怖いよね生肉。

きょうもピアッサ散歩。
ナショナルホテルでコーヒー、マキアート。

半地下のカフェでアイスクリーム。

Raizal Cafe でミックスジュース、ケーキ。
ケーキがとてもおいしかった。

お店でロンドンのイーリング在住のクマさんという女性に逢った。イエメンからきのうアディスアベバに到着したそうな。
これからジブチ、エリトリアに行くそうでエチオピアは去年来てよかったのでちょこっと立ち寄ったということでした。

映画館の前に行列ができていた。
何の映画か聞いてみたらインド映画だった。
インド映画の次はケニア映画なのだそう。

街でヨナスに遭遇。
「ハーイ!メリークリスマス!」と明るく声をかけてきたけれど、モンカが「ノークリスマス」と言って連れなくしていたら、行ってしまった。だましてお店に連れていったことばれてないと思っているのかな。

ホテルに戻ってロビーでテレビを見ながらホットミルク、紅茶。

きょうはウエイトレスが民族衣装を着ていたので、モンカが写真を撮っていたら、写真が欲しいというのでCDRに焼いてあげた。

夜タクシーでニューヨークというカフェに行ってみたけれど、満員でしかもあまりおもしろくなさそうだったのでホテルに戻った。



8.Jan.2006 Mon 晴れ

Mohmoud Ahmed さんのお店にメッセージカードを渡す。

CD屋3軒はしご。TADDALAA GAMMACHUのCDとオススメCDと70年代のエチオピアのジャズのカセットなどを買う。

Raizal Cafe でミックスジュース、チーズバーガーふたりで一個。

ホテルの戻って少し休憩。

郵便局。

ミニバスでメキシコ。

カフェでマキアート、チャイ(ジンジャー入り)

ミニバスに乗り、適当なところで降りる。
カフェでチャイ(ジンジャー入り)

ミニバスに乗り、適当なところで降りる。そこがマルカートの近くのモスクの前だった。CDショップでカセットを買った。

タクシーでホテル戻る。

モンカ不調。



9.Jan.2006 Tue 晴れ

お湯を沸かしてインスタントラーメン。

銀行両替。1US$ →8.77ブル。 200US$

BOOK WORLD ハイレ・セラシエの3冊組の本 952ブル。

スーパーマーケット キャンデー、ジュース。

スニーカー屋さんでモンカのスニーカー 700ブル。

トモカ・カフェ マキアート×2=5ブル。

CAVE HOTELからいつも大音量で音楽が流れているのだけど、日本の演歌が流れていてびっくり!

ホテルに戻ってパッキング。

ロビーでテレビを見ながらホットミルク、マキアート。
スパゲティ、スプライト、コーヒー。

日本人の女性がやってきたので少し話した。
イスタンブールからイエメンを回ってきたとのこと。
エチオピアには今朝着いたばかりだった。

空港までタクシー。65ブル。

14時 まだチェックインできないのでオレンジジュースを飲みながら様子を見る。

日本人のカップルがやってきたので、チェックインの方へ移動。
まだチェックインできなかった。
その人たちも同じエミレーツ航空だった。
わたしたちは大阪経由だけど、名古屋経由で札幌へ帰るそうな。

19時、ようやくチェックイン。

アディスアベバからドバイまでは運良くビジネスクラスの席に割り振られた。エミレーツ航空は欧米系の航空会社に比べてもすごくクオリティが高い。前の席の背中についている液晶モニターも大きくてコンテンツも充実している。エジプトや湾岸諸国のポップスのプロモーションビデオのチャンネルなどを観ているといつの間にかものすごく洗練されていて驚いた。
エチオピアはアラブ諸国に比べて経済的にはすごく貧しい国なのだった。でも文化的にはとても豊かな国なのだ。
 



10.Jan.2007 Wed 晴れ

関空から入国して、夜11時に羽田到着。

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