2000年12月10日出国 2001年1月6日帰国
ルーマニア マケドニア コソヴォ ギリシャ

PART 1 ルーマニア
 


12月10日 SUN 曇り

9時30分出動。
タクシーで阿佐ヶ谷駅。
でかいバックパックかついでたせいか、総武線で上野に向かう途中、2回も外人に駅をきかれた。

3年振りのアエロフロート(SU576)で、驚いたのは日本向けのサービスの充実ぶり。日本語での機内放送もあるし、機内食にはいなりずしやカツ丼が出た。日本茶のサービスもある。スチュワーデスも片言の日本語ができる。
時代は確実に進化してる!とか言いながら2度目の機内食はハムづくしでしたけど。

モスクワ・シェルメチボ・ドヴァー空港。
なんだかんだ言ってわたしはココが好き!
いるだけでウキウキしてきちゃう。
以前に比べてずいぶん明るくなったけど、なんかあか抜けない雰囲気で、場末っぽい感じがイイんです。
あまり見かけない国の人たちが、行き交う姿を眺めるのもおもしろい。

レストランで日本のコンビニで買ってきたおにぎりとペットボトルのお茶で軽く食事。
すでにあちこちに空港で夜明かしする人たちの即席コミューンが出来始めている。
こういう時ってなぜか似たもの同士が集まるみたいで、アフリカ系、アジア系、ヨーロッパ系それぞれ違う場所に。
わたしたちは、3年前にレバノンに行ったときに寝た所、レストラン脇の階段の踊り場の隅に、機内から持ってきた新聞紙を敷いて寝袋で寝る。さながら体験浮浪者ってとこです。



12月11日 MON 曇り

朝7時トランジットオフィースでチェックインして、ボーディングパスと食事のチケットをもらう。
朝食は8時と言っていたのに8時30分になって、ようやく例の給食ワゴンでオバサンが食事を配りはじめる。
メニューは、パン、バター、ゆで卵2個、イチゴヨーグルト、紅茶。
以前、紅茶のおかわりはできないことになっていて、お客と給食係りのオバサンがよくケンカしていたけれど、今はどうなんだろう?

9時30分発 SU151便。
ルーマニア、ブカレストに到着。
まずは両替。
100USドルが2,560,000レイに。
783番バスひとり10,000レイ。
それぞれ一人旅ふうの日本人の女の子3人組がいた。
空港から革命広場(PIATA UNIRII)へ。
バスの中で、モンカが大きなくしゃみを連発していたで、ティミショアラから来たというファミリーに「ルーマニアは寒いでしょ」と言って笑われた。(ジェスチャーによるトーク)
隣の座席にいた英語のできるオバサンにバスの運転手に降りるところを伝えておいてもらう。
そのオバサンに
「10年前に来たときと比べて、すごい変化で驚きました」と言うと、
「ええ。でもこの間の選挙で共産党のイリエスクが勝ったので、私たちは残念です」と少し悲しげな表情をした。

バスを降りて、ホテルを捜したけれどなかなか見つけられなくて、通りがかりのオジサンに声をかけたら、一瞬困ったような顔をして、手を左右に振って、言葉がわからないというジェスチャーをしてそのまま行ってしまいそうになった。でもすかさず紙に書いたホテルの名前と住所をみせたら、ニコッとして「着いてきて!」と言ってホテルのわかるところまで案内してくれた。

ホテル・ハヌル・ニュイ・マノックは19世紀に建てられた歴史のあるホテルで、木造でとっても落ち着いた感じ。中庭には古い幌馬車や古めかしい井戸がある。

ホテルに着いたもののフロントで部屋はないと言われる。
「そんなはずはないです!日本から予約が入ってるはずなんだけど」と言うと
「日本人の分はキャンセルになりました」
と言って台帳みたいなのを見せてくれたが、確かにそこにはでっかくバッテンが書いてあった。
「え!それはいったいどういうことなんですか?」
「そう言われても私にもわからないので、ミッシェルにきいてください」と言っているところへちょうどミッシェルさんがやってきた。
ミッシェルさんはフランス人で、ルーマニアのジプシー・バンド、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスのマネージャーをしている。
「やぁやぁ。あれ!2日もはやく来ちゃったの?」
とちょっと困り顔になった。
「でもなんとかしましょう」
と言ってくれてフロントと相談して部屋を用意してくれた。
実は、ホテルを貸し切りにしてフランスのTVの録画をしているところで、そのスタッフも現在このホテルに滞在していて、この後かなりのジャーナリストがヨーロッパ各地から来ることになるので、他にホテルを手配していたそうなのだ。

わたしたちが部屋のある3階へ上がると、階段の踊り場のところで休憩中のタラフのメンバーに出会った。みんなと握手して、部屋に荷物を置いて戻るとすでに撮影場所のバーラウンジの中に入っていた。
わたしたちも中に入ってみると、椅子やテーブルはすべて片づけられていて、黄色と黄緑の色ガラスのはまった窓から午後の柔らかい光線が差し込んでいる。部屋の真ん中で、メンバーは半円を描くよう座っていた。
タラフのメンバーは全員ではないけれど、他にマケドニアのコチャニ・オーケスター、ブルガリア人クラリネット奏者とイスタンブールからきたダルブッカ奏者タリクさんが新曲を演奏していた。
ホーンセクションとダルブッカが加わったことによって、グッと男っぽく勇壮な感じがするとてもカッコイイ曲だ。
天井の大きなアンティークのシャンデリアに録音マイクが取り付けられている。近くにいた何人かのメンバーとスタッフの人たちと握手して挨拶した。
モンカが真っ正面から写真をパシャパシャっと2枚撮ったところで、
「今から本番なので、脇へよけてください」
とスタッフの女性が声をかけた。

本番がはじまって、録音やカメラを担当するスタッフはちょっと緊張した厳しい表情になった。
でも、それ以外のスタッフやミッシェルさんや彼の仕事のパートナーのステファンさんやディレクターの人たちはワインを飲んだり踊ったりしていた。一見いい加減そうなんだけど、みんな楽しみながらも真剣に取り組んでいる。
何度かやり直して、そのカットはOKが出た。
次のシーンは、メンバーが丸く輪になって部屋全体が映し出されるシーンなので、関係者以外の全員が部屋の外に出された。
後でわかったことだけど、監督をしていたアリソンという若い女性は「ガッジョ・ディーロ」の監督トニー・ガトリフの娘さんだった。
そのシーンに出ないタラフのメンバーも一緒に出されたので、部屋から来日したときに撮影した写真のプリントを持ってきて、それぞれ手渡していった。レコード会社にも写真を送ったけれど、どうやらはじめて見たみたいで、みんなすごくうれしそう。最低でもひとりに一枚は渡せるようにプリントしたはずなのに、笛のゲオルゲさんの分がなかった!モンカはソーリー。ソーリー。とひたすら平謝り。
ゲオルゲさんは「いいよ。だいじょうぶ」
と口では言っていたが、ひとりだけサンタさんのプレゼントがもらえなかった子供みたいにすごく悲しそうだった。
メンバー中一番高齢の72歳のバイオリニスト、ネアクシュさんはアルタンのモレートとキスしている自分の写真がすごく気に入って、写真にチュッとキスしてニコニコしていた。

やがて撮影が終了。きょうはこの後ルーマニアのTVに出演するとのこと。しかも時間はずいぶん押しているとバタバタと階段を降りて車に乗り込んでいた。ミッシェルさんによると、明日は朝9時からフランス・インスティテュートでレコーディングするらしい。
「ではまたあした!」

もう夕方の6時だったのでおなかもすいていたので、ふたりで何か食べに行くことにした。ホテルから歩いて10分くらいのところにあった照明が明るいセルフサービスの店、プラネット・ダイナーに入った。どうやって注文したらいいのかわからなかったので、とりあえず食べたいものを指さして
「コレくれ!」って言ってみたら、店員があっちのレジで先にお金を払ってくるようにと言っていた(ルーマニア語だったから、たぶんね)
なのでまずレジで食べたい食べ物のあるコーナーを指さしながら、ジェスチャーで説明してお金を払ってレシートをもらった。
レシートを持ってもう一度同じところへ行って並んで、これこれみたいに指し示してようやく食べたいものを手に入れた。
こういうところは、社会主義時代のなごりみたい。
チキンのトマト煮とライス、ラザニア、フレッシュレモンジュース、コーラ。190,000レイ。
日本だったらモデルになれそうな超かわいい女の子が、ミニスカのサンタの衣装でウエイトレスをしていたけど、お客さんはみんな無関心だった。

帰り道、地下道のキオスクみたいな売店で地図を2種類買った。
地下道を出て小さな商店で行列して水とビスケットとジュースを買った。店員の女の子はふたりだったけど、ふたりとも一瞬わたしたちを無視して後ろの客の注文を先にきいていたので、ちょっとムカついた。たぶん言葉が通じないから面倒くさかったんだろうな。

ホテルに戻ってバスタブにお湯を入れてみたら、真っ茶色になった。かなり古いホテルなので水道管が老朽化しているみたい。どうしようかと思ったけど、鉄分なんだし毒じゃないでしょうと思って入浴。



12月12日 TUE 晴れ

朝起きて出かける準備をしようとしていたモンカが
「あ〜〜〜!!!」と声をあげて頭を抱えてうずくまっていた。
「やられた〜〜〜!」
見ると、リュックサックの後ろのポケットの左脇がサッと鋭いナイフのようなもので縦に切り裂かれていた。なんだか背中がぞっとするような気分。え?いったいいつ誰が…。今までまったく気がつかなかった。
「たぶんきのうの地下道の売店だよ。あそこしか考えられない」
それにしても貴重品全部やられた。
まさかナイフで切られるなんて考えもしなかった。

12頃まで日本とかルーマニアの日本大使館とかアメックスとかあちこち電話連絡。

ロビーでミッシェルさんにバッタリ出会った。
「やあ、元気?」
「実は、きのうスリにあって貴重品全部盗られたんです」
「え!こっちはあぶないからね。気をつけた方がいいよ。もう手遅れだけど…」

近所でハンバーガー3コ、カプチーノ2コ。テイクアウトしてホテルで昼食。

日本大使館へ向かう。
地下鉄券2回分8000レイ。
大使館に着くとまず電話で話した佐藤さんが現れた。
で、盗られた状況を説明。
佐藤さんはこれから出かけなくてはいけないのでということで、日本語のできるアントチェさんが代わりに続きの手続きを話してくれた。
「盗られた場所ですけど、このあたりは警察署の管轄がちょうど別れてしまうところなので、10区のここあたりと言ってください」
と言って地図を示した。
「この後一時間くらいで通訳の人が来ますのでこちらでお待ちになりますか?それともどこかへ行ってまた戻ってきますか?」
「このままここで待たせてもらっていいですか?」
「じゃ。こちらで」
といって部屋に通された。
待っている間、向こうの部屋で
「え〜ふたり分いっぺんにとられた?なんでそんなことになってんの〜」
「貴重品入れにふたり分入れてたらしいんです」
という会話がきこえてきた。
しばらくしてアントチェさんが
「すみません。部屋を移動していただけますか」
といって別の部屋に移動した

2時頃、通訳の男性が現れた部屋に入るなりいきなり
「いや〜すみません。急だったものでこんな格好で…」
ってメチャクチャ日本人っぽいセリフを完璧な日本語で挨拶されてびっくり。彼の名前はヴァシリ・アンドレスクさん。100%ルーマニア人。


▲右側のキャップをかぶった人がヴァシリさん

ヴァシリさんの車、ルノーと提携しているルーマニア製乗用車ダーチャで早速警察署へ。
部屋に入って、3時間くらいかけて書類を書かせられる。担当の人が言う言葉をすべてルーマニア語で書かなくてはいけない。
通訳なしでは到底無理。
取られた物すべて、取られた場所、自分の住所、氏名、生年月日、生まれたところ父親母親の名前などなど。さんざん書かせておいて、捜査することは希望しません。って書かされた。
というのは、捜査をすることになると、犯人の手配写真を見たり、容疑者の面通しをしたりしなくてはいけない。そうすると滞在がいったいいつまでになるやら検討もつかないということなのだ。
全部ルーマニア語で書かされた後、同じ項目で日本語でも書くことになった。
今度はわたしが書いたけど、ヴァシリさんは日本語を喋るのも完璧だけど、書く方も完璧で、本当は彼の方が字もウマイし、漢字もよく知っていたのだ。
「でも最近はコンピュータで文を書いているので、漢字をずいぶん忘れてました」なんて謙遜してました。
ん〜本当にヴァシリさんって日本人みたい。

全部の作業が終わって外に出たときヴァシリさんが
「今回この作業は、はじめてだったけど、小説を書かせられるのかと思った」と一言。
おまけに本当はおまえがやったんじゃないの?みたいなことを言われていたらしくかなりムカついてた。
本当にお疲れさまでした。どうもありがとう。
それにしても肝心の盗難証明書は明日の朝、発行されるという。

再びヴァシリさんの車で日本大使館に戻った。
車中で、ヴァシリさんが日本人の友達と一緒に歩いていたときに両替しないかと言ってきた人がいたので無視していたら、今度は警官だというニセモノがきて外貨を見せろと言ってきた。ヴァシリさんが携帯で警察を呼びますと言ったら逃げてしまったが、その後友達が一人になったとき何人かに囲まれてお金を巻き上げられたことがあると言っていた。
街で日本人を見かけると「気をつけてくださいね」と、日本語で声をかけたりすることがあるそうだけど、逆に怪しい人だと思われてしまうらしい。
ヴァシリさんは
「ではまたあさってホテルまで行きます」
と言って帰っていった。
アントチェさんが
「本当に残念です。何かできることがありますか?最近、治安がどんどん悪くなっていて、日本人の留学生でバスの中で4回もカバンを切られて物を取られた人がいます。大使館のスタッフでも金のネックレスを狙われて引きちぎれなかったために殴られて取られた人もいるし、わたし自身も家に泥棒に入られたことがあります」と言っていた。

歩いてフランス・インスティチュートへ向かう。

歩いている人に紙に書いたフランス・インスティチュートの場所を見せて捜したけれどよくわからない。フランス大使館の門番の人に紙を見せたら地図を出してきてフランス語で説明しながら場所を指し示してくれた。実は日本大使館のすぐ近くだった。

やっとフランス・インスティチュートに到着。
もう練習は終わっていてみんな帰り始めているところだったので、ホテル方面に向かって歩いて帰ることにする。途中シェリフズで食事。
ピザ、スパゲティー、マンゴジュース。



12月13日 WED 晴れ

ホテルのレストランで朝食。

地下鉄でチケット10回分35,000レイ。

北駅(Gara de Nord)で広場の排気口のところで遊んでいるホームレスの子供がシンナーを吸っているところをモンカが写真を撮っていたら、通りがかりのオバサンに怒られてしまった。

ピアノカフェで昼食。
メニューがルーマニア語でよくわからないけど適当に注文したら、チキンフライみたいなのと野菜スープが出てきた。

フランス・インスティチュートに立ち寄ってみた。
もう練習は終わっていてタラフのメンバーはレストランで休憩しているところだった。
マリウスさんがタラフの過去の雑誌や新聞に取り上げられた記事をまとめたコピーを見せてくれた。
写真を見ながら、
「あっこれはウチのパパだよとか、これはウチのファミリーなんだよ」
とか説明してくれた。
パシャランさんもやってきて、
「あっこれオレ。あっこれもオレ。」
って自分の写真を見つけると指さしていた。
マリウスさんは「これあげるよ」といってそのコピーをくれた。
それってタラフの資料としてはかなり貴重なもの。
しかもジョニー・デップのサイン入り!!!
そんなものでも彼らにはなんの価値もないものなのだ。
彼らにとって一番大切なモノは家族。
本当にシンプルな人たち。

パシャランさんがビールをおごってよというのでいいですよと答えた。パシャランさんは、ポパイに出てくるウインピーみたいにいつもビールおごってよとかタバコちょうだいと言っている。
レストランにピアノがあったので、マリウスさんが弾きはじめた。するとパシャランさんがピアノのところへやってきて大声で歌い始めた。みんなニコニコしながら見ていて、何曲か歌い終わったら拍手していた。
マリウスさんはパシャランさんの大きく突き出たおなかを指さして
「スモウ、スモウ」と言ってみんな大笑い。
いつもクールな感じのフランス人スタッフのクロエという女性もブハハハハって思いっきり吹き出していた。

帰りにマリウスさんが車でホテルまで送ってくれた。
運転手はクレジャニ村の人ではなくて、ミッシェルさんが手配しているらしい。わたしたちがまだ来て間もないので、観光を兼ねて回り道をしてくれた。マリウスさんの長男坊も一緒だったけどおとなしく座っていた。
途中携帯電話で話していたマリウスさんが
「ちょっと待って、日本から来たジャーナリストがいるから」
と言ってモンカに受話器を渡した。
何が何やらわからないままに
「ハ〜イ!アイ・アム・フォトグラファー・フロム・ジャパン」
とかわけわかんない会話してた。
英語話せる女の人だったとか。ん?誰?

近所でピザを買ってきてホテルで夕食。

お風呂は相変わらず真っ茶色。

夜中の3時頃、川島恵子さんと松山晋也さんがホテルに到着。
1時間くらいロビーでいろいろ話した。



12月14日 THU 小雨のち曇り

ホテルで朝食を済ませて、ロビーで待っていると9時頃、ヴァシリさんがやってきた。きょうはシルビウさんという友達も一緒だった。

車で警察に行って盗難証明書を受け取る。
日本大使館でパスポートの手続きを待つ1時間くらいの間に3人くらい娼婦と思われるちょっとケバイ感じの女性がやってきてヴァシリさんたちがくすくす笑っていたので、何があったのか聞くと、彼女たちは私はダンサーで日本から招待されていると言っているのだけど、招待しているのがパキスタン人らしいのだ。

アントチェさんが新しいパスポートを持ってきてくれた。
「ルーマニア発給のパスポートは品質悪いです」
と言ってすごく申し訳なさそうにしていた。
パスポート再発行代ひとりにつき192万レイ。

パスポートを持ってパスポートの入国スタンプを申請しに行くが、それからが大変。

まず、両替所で60US$を両替した領収書。次に、銀行へ行って3万レイと12万5千レイを支払った領収書(おそらく日本の収入印紙みたいなもの)を持って再び終了ギリギリ前の1時に申請所に戻ってあわてて申請用紙に書き込む。ヴァシリさんが手伝ってくれていたのだけれど、中にいた係官が「ここにはルーマニア人はいなくてもいい」と言ってヴァシリさんは追い出されてしまった。
なんとかかんとか用紙を書き終えて明日10時以降取りにくるように言われる。

おなかがすいたので、4人でプラネットカフェで食事。
カレーとフレッシュレモンジュース。
ヴァシリさんは現在26歳で、94年日本の上智大学に行っていたそう。その後4回日本には来ているという。今回ほんとにヴァシリさんが来てくれて助かったよ。

帰りに車のところで写真を撮らせてもらった。

きょうはタラフ・ドゥ・ハイドゥークス+コチャニ・オーケスターのライヴがあるので会場へ行ってみたが、リハーサル中だったので、いったんホテルに戻ってホテルのレストランでお茶。

川島さんと一緒にコチャニのリーダーのイスマエルさんの部屋に行ってみる。川島さんがメンバー全員の名前と楽器パートを確認。

8時に会場に戻る。
ライヴ開始。
最初はタラフ。途中でコチャニとトルコのダルブッカ、ブルガリアのクラリネットが入って新曲を披露した。
休憩が入って、第2部はコチャニ。
世界中ツアーをしているタラフだけど、ルーマニアでちゃんとしたコンサートをするのはこれが初めてだという。
客席にはタラフのメンバーの家族が大勢来ていたのでとってもアットホームな暖かい雰囲気。みんな踊りまくっていた。夜12時頃終了。

レストランで打ち上げ。パスタとワイン。デザートのアップルパイみたいなのがおいしかった。ヴァシリさんも来ていたので通訳として大活躍。なにしろ日本語、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ギリシャ語、スペイン語、ルーマニア語、8ヶ国語も話せるのだ。

帰り何かあると危ないのでとヴァシリさんがホテルまで送ってくれた。



12月15日 FRI 曇り

きょうも朝からヴァシリさん登場。きょうは記者会見その他の通訳として手伝ってもらうことになった。みんなでホテルで朝食。

ホテルの中庭でコチャニのメンバーひとりひとりとグループショットを撮影。

その後、わたしとモンカはタクシーでパスポートのスタンプの申請事務所へ。2万レイ。この前は機嫌が悪かった係官のオジサンがジェスチャーをまじえて「剣術を知っているか」って聞いていた。

タクシーでローマ広場3万レイ。地下鉄でホテルに戻る。

各国からのジャーナリストによる記者会見。

その後ぞろぞろとみんなでレストランへ移動。ここでもビデオ撮影をしていた。赤ワインを飲みながら待っていたが、料理がなかなか出てこなくてミッシェルさんがキッチンに文句をつけに行ったらすぐに料理が運ばれてきた。カリウさんとマリウスさんが演奏。とってもいい雰囲気。

ホテルまで歩いて帰るときに日本語のできるフランス人ジャーナリストが実はエレンさんだった。エレンさんのことはかなり前からカメラマンの酒井くんから話に聞いていたけれど、こんなところでお目にかかるとは思わなかったのでびっくり。

川島さんと松山さんとモントンでヴァシリさんの車で明日仕事で地方に行くというヴァシリさんのエアチケットを取りに行くのに同行。ヴァシリさんは車に護身用に野球のバットを置いていた。帰りにちょっと倉庫っぽい感じのカフェでお茶。

きょうもタラフ+コチャニのライヴ。
またまた盛り上がって踊りまくり。

歩いてホテルの近くのバーで川島さん、松山さんと4人でサンドイッチとジュースで軽く食事。その後、ホテルに帰って就寝。



12月16日 SAT 曇り

ホテルで朝食を済ませて、中庭に駐車していたマイクロバス3台に各国からのジャーナリストが分乗していざクレジャニ村へ。
わたしたちが乗ったバスにはステファンさんファミリーが一緒。ステファンさんの奥さんはアコーディオン奏者のイオニッツアの妹で結構強気そうな感じ。ステファンさんはタラフのプロデューサーで、背が高くてやせていて、ちょっとポワ〜ンとした感じ。

途中で道端で売っていたコッピーロという輪になった塩味のお菓子の束をステファンさんが買ってみんなで回して食べた。
それまでなんとなく緊張した雰囲気だったのが、コッピーロのおかげで急に柔らかくなった。それにしてもこのあたりはコッピーロを売ってる人ばかりが道に出ていた。

クレジャニ村に到着。

道の向こうの方から大型トレーラーの荷台に乗ったタラフのメンバーが演奏しながらやってきた。
目ざとくそれを見つけたモンカはダッシュして写真をバシャバシャ撮っていた。

イギリスの音楽雑誌ソングラインズの表紙用にニコラエさんを中心にモンカが写真を撮る。
後ろの方にいるメンバーはすぐ飽きてしまって話し込んだりしてしまう。でもなんとかうまく撮影はできた。その撮影の背景に使った家は、ルーマニア人の家だった。
クレジャニ村はジプシーだけではなくてルーマニア人の人たちも住んでいるのだ。

マリウス・パパが自転車でやってきたので近づいて行ったらいらっしゃいと誘われたのでモンカとふたりでパパの家へ行った。とっても質素な家で家具はベッドとストーブしかなかった。バイオリンを弾きながら歌ってくれたけど、すごくいい声だった。写真を撮らせてもらった。


▲自転車でやってきたマリウス・パパ

戻って行く途中、川島さんと松山さんに会って一緒にニコラエさん宅を訪問。ここでも写真を撮らせてもらう。ニコラエさんは70歳を越えているのだけれど、川島さんをナンパしていたみたい。しきりに泊まっていきなさいって誘っていた。

集会場みたいなところに全員集合。
タラフのメンバー、マリウスさん、カリウさんと息子のロナウドたちが演奏。

▲左、白いマフラーのバイオリンがカリウさん。中央、バイオリンがロナウド。右、アコーディオンがマリウスさん

だいぶ待たされてようやく食事にありつけた。
チキンとサラダとパン。ビールにワイン。
わたしはコチャニ・オーケストターのメンバーのテーブルに混ぜてもらった。みんなサラダを分けてくれたり、ワインを注いでくれたりサービス満点。パシャランさんが隣だったけど、ニコラエさんの歌とバイオリンの物真似をしてみんなを笑わせていた。

イオニッツァ・パパの家を訪問。リンゴとコーヒーをごちそうになる。

集会場に戻るとイオニッツアとまだ小さい息子がアコーディオンを演奏していた。ここでもみんな踊りまくり。

メモを書いていたら子供がやってきたので、紙をちぎってその子の名前を聞いてカタカナで書いてあげたら、次々に子供が集まってきちゃってみんなに名前を書いてあげることになってしまった。

そろそろお開きということでバスに戻ろうとしていたら、14〜5歳くらいの男の子がやってきて何か言ってるんだけど、ルーマニア語は全然わからないので、ムーツメスク(ありがとう)とチェファチ(すてき)を繰り返してた。じゃあねって行こうとしたら、いきなりキスしようとしててあせった。バスの一番後ろの席に座ったら、後ろからコツコツってガラスを叩く音がするので振り返るとさっきの男の子がニコニコしながら、投げキスしたり手を振ったりしていた。大人をからかっちゃダメだよとか思いながらもちょっとキュンとしてしまった。

バスでホテルに戻ってから、川島さん、松山さんと4人でタクシーで中華レストランで食事。

タクシーでホテルに戻って就寝。

 

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