2005年12月20日出国 2006年1月7日帰国
スペイン(バルセロナ)、フランス(マルセイユ)、イギリス(ロンドン)去年、エアチケットまで買っていたのに突然の入院で行けなかったバルセロナと15年振りのマルセイユ。トランジットのロンドンも9年ぶり。
2005年12月20日(火)成田を12:55発BA008でロンドン ヒースロー空港へ。
到着したときには久々の飛行機酔いでぐったり。
18:25バルセロナ行きBA482に乗り換える。バルセロナに到着してみると機内に預けた荷物が違うターミナルへいってしまっていた。
こんなことははじめてだったけれど、バルセロナでは毎度のことらしい。
預けた荷物が一向に出てこない上に誰もいないのでおかしいと思って係員に聞いてはじめて気がついた。
紛失しなかっただけまだマシだったと思うべきなのか。空港からバス3.7ユーロ×2でカタルーニャ広場。
もう23:00過ぎだった。
地下鉄で一駅だけ乗ってリセウ駅で降りて、ホテルを何軒かあたってみたけれど、割高だったり、部屋に電話がなかったり。
5軒目くらいでようやく良さそうなホテルに辿り着いた。風呂トイレ付きで電話もあるし、朝食も付いてダブルで65ユーロ。
部屋に着いてからPBG4を立ち上げてみたら、エアマックが使える状態になっていた。
2005年12月21日(水)晴れ朝ご飯を食べて、まずはツーリスト・インフォメーションで情報収集。
ランブラス通りには大道芸人がたくさんいる。ほとんどの人が人間彫刻。
ラバル地区を散歩。
バルセロナの中でもラバル地区は古い町並みが残っていて、移民が多くエキゾチックなエリア。インド、パキスタン、北アフリカのアラブ圏の国やセネガルなど西アフリカ諸国からの移民が多い。市場の裏手の壁にはグラフィティがたくさんあってそこで立ちションしている人がいた。
定食屋さんでランチ。
ナスの天ぷら、牛肉とジャガイモの煮込み(トマト味)、豚肉ステーキ&ピーマン。ちょっと和風なイメージでおいしかった。昼間なのに娼婦がたくさんいる場所があった。
ラバル地区からそのまま下がり、ランブラス通りの裏の方を歩いてポルト・ベイを散歩。
スターバックスでコーヒー。郵便局で日本に送る年賀状用にとりあえず切手50枚買った。
ピカソ美術館に行った。
少年時代の作品と有名作品の習作。
マニア向けには掘り出し物かもしれないけれど、ちょっと拍子抜けした。歩いてホテルに戻る。
わたしはそのまま仮眠。
モンカはアオラの高橋めぐみさんに紹介してもらったチャビさんに会いに行った。帰りにファラフェルとポテトを買ってきてくれた。
ランブラス通りには、ファラフェルやシュワルマを売っている店が何軒かあったけれど、泊まっていたホテルの近くが一番おいしかった。
2005年12月22日(木)晴れホテルで朝ご飯を食べて、昼過ぎ出動。
近所の中華レストランでラーメン、炒飯でランチ。
中華ならハズレはないだろうと思ったら、大味であまりおいしくなかった。地下鉄で AV Carrilet
オホス・デ・ブルッホのライヴ会場 Sala Mandra へ行ってみたが、時間が早すぎたみたいでまだ誰も来ていない。工事現場近くの食堂でカフェ。
お客さんは労務者の人たちばかり。
お店の人は「パエーリャ!、パエーリャ!」と大声で言っていたから、パエーリャが売りだったのかも。ちょっと食べてみたかった。もう一軒老舗のカフェでカフェ。
地下鉄で Ildefons Cerda 。モンカが工事現場の写真を撮っていたら、大きな番犬に吠えられた。
地下鉄で Espanya まで行って戻ってくる。
もう一度ライヴ会場へ行ってみるが、会場設営の人しかいないし、英語が全然通じなかった。カフェでお茶。
カフェをもう一軒はしご。
この店のカフェ・コン・レチェはクリームがこんもり盛り上がっていた。20:30会場へ行ってみる。
はじめお客さんは誰もいなかったけど、しばらくすると少しずつ人が集まりだしてきた。楽屋口の方へ行ってみると、ちょうどやってきたDJパンコを発見!挨拶をしたら、マネージャーのアンさんを紹介してくれて、アンさんが会場に入れてくれた。
メンバーも徐々に顔を見せ始めた。社長のハビ・サルコさん、ギターのラモンさん、パーカッションのシャヴィさんにご挨拶。
客を入れて、22:00ライヴ開始。
ライヴは、今春出る新作『TECHARI』からの曲 を中心に演ったもの。素晴らしい。ちなみに『TECHARI』とは、 ヒターノ(スペインのジプシー)の言葉、カロで、“自由”という意味 。
若干20歳というアフロヘアのキューバ人トランペッターが入ってよりファンキーな感じになった。途中ステージに現れたジーパン姿の男性がフラメンコを踊ったのだけど、メチャメチャうまくて鳥肌が立つほどだった。
会場のお客さんの手拍子もイイ感じにフラメンコっぽかった。
最前列の左端で観ていたのだけど、ヴォーカルのマリーナは本当にチャーミングな歌い方をする。
2005年12月23日(金)晴れカタルーニャ広場のツーリスト・インフォメーションへ。
地下鉄で Sant Roc へ。
倉庫街のような街。
人はあまりいない。
大きな食堂で昼食。
魚フライ、ステーキ、コーラ、コルタード。
カフェオレだと量が多過ぎるときにデミタスカップのミルクコーヒー、コルタードはうれしい。食後、また街を歩く。
バス停で適当にバスに乗って終点まで行ってみた。
今度は街の中心の方へ。途中、水道局のビル「トーレ・アグバール」(ジャン・ヌーヴェル作)が見えたけれど、巨大なタンポンみたいなガラスのビルでブルーに光っていて迫力があった。ガウディよりもすごい!
もう一度 Sant Roc に戻ってレストラン ROMA に入ってオレンジジュースを飲んだ。その後、店とその周辺を撮影。
サグラダファミリア教会駅に行って、教会の前まで行ったけど、中には入らなかった。近くのレストランで食事。
ミートソーススパゲティ、クリームチーズ+ハムスパゲティ。ランブラス通りでシュワルマを買った。
観光客向けって感じで味はイマイチだった。
2005年12月24日(土)晴れ11:50チャビさんが車でやってきて、一緒にチョカデリア・インテルナシオナールというバンド(前作は日本盤も出ている)の新作をレコーディングしているスタジオに遊びに行った。
そこは倉庫のようなぼろいビルにある雑然としたところで、暖房設備がほとんどない寒いスタジオなので、シベリア・スタジオと呼ばれている。
シベリア・スタジオの非常階段でモンカが、チョカデリア・インテルナシオナールのグループ・ショットを撮る。
チョカデリア・インテルナシオナールのメンバーは全員、カタルーニャのカタラン人。スペインのなかでカタルーニャ地方はほとんど外国みたいな感じで、言葉も、スペイン語だけでなくカタラン語を話す人が多い。バルセロナは、そんなカタルーニャの中心的な都市。
撮影が終わってからチャビさんに車でホテルまで送ってもらった。車中ではジョー・ストラマーがかかっていた。
ラバル地区を散歩。
カウンターのインド・レストランで食事。
チキンカレー、ナン、ビリヤニ、オレンジジュース、コーラ。
フレッシュ・オレンジジュースを自動で絞るマシーンがあって、コップ一杯のジュースを作るのに3個くらいオレンジを使っていた。
ナンは熱々の焼きたて。
ビリヤニもカレーも料理の味がインドっぽくておいしい。
店の人は15年前にインドのデリーからやってきたそうな。モンカは26年前(1979年)にデリーに行ったことがあると言ったら、今はそのころよりはるかに進んでいると言っていたけど本当?公園みたいな広場があって、そこに巨大なデフォルメされたネコの彫刻(フェルナンド・ボテロ作)があった。
洗濯物が万国旗みたいに干されていた。
店頭のショーウインドウにインドの甘いお菓子が何種類か飾られているお店で、モンカがこれはすごく甘いんだよって説明していたら、向こうからお店の人がやって来て、どうぞどうぞと言うので、中に入ってカフェ・コン・レチェと白いココナッツ味の劇甘のお菓子を食べた。
2005年12月25日(日)晴れ地下鉄リセウ〜シウタデリア
歩き回ってモンカ写真を撮る。
ボガディの近くで昼食。
ツナ・マリネ、小魚のフライ、コルタード。
店番をしていた17歳くらいの少年がアイルトン・セナに似ていた。ほとんどの店が閉まっている。
のんびり歩きながらマリーナ〜北口バスターミナル。カフェでカフェ・コン・レチェ(カフェオレのこと)。
カフェには2台だけスロットマシーンがあるところが多い。
ジャウマ・プリメ 地下鉄に乗る。
レセップス
グエル公園へ行った。
休日で街は閑散としていたけど、ここだけは観光客がいっぱい。地下鉄→リセウ
レイアール広場にあるレストランで食事。
生ハムメロン、チキンのチリドン煮、パエーリャ、
赤ワイン、コルタード。レイアール広場やランブラス通りでは缶ビールをばら売りしている人がいた。
2005年12月26日(月)曇り13:00出張先アムステルダムから帰ってきたリビーとランブラス通りのマクドナルドで待ち合わせ。
リビーはイスラエル人だけど、日本に住んでいたので日本語ぺらぺら。現在はバルセロナに3年住んでいてスペイン語もぺらぺら。言語能力がかなり高い人なのだ。3人でリビー行きつけのカフェでおしゃべり。カフェ・コン・レチェごちそうになる。
ラバル地区のおいしいレストランを教えてもらう。
リビーと別れてから早速そのうちの一軒アジアン・レストランで食事。
サモサ、スープ、チキンカレー+ライス、チャナ(ガルバンソ)カレー+ナン、プリン。
近くのテーブルで食事していた黒人の人にスペイン語トラベル会話帳を見ながらどこから来たんですかってモンカが尋ねたら、セネガルから来た人だった。バスに乗って行き先を決めずに適当に回る。
きょうはボクシングディで街はほとんどお休みなので、 観光地を歩いた。
ダリ美術館に入ってみた。
ここもピカソ美術館と同じで大作はなかったが、壁一杯所狭しと作品が飾られていた。ガウディの有名な建物カサ・ミラの近くで、 ちょっと人通りのないところを歩いていたら、まず地図を持ったスペイン人が道を尋ねてきた。
わたしたち(見るからに観光客)に道を尋ねる時点で 十分怪しいわけですが、 とりあえずその地図をのぞき込んでいたところに、 もうひとりの男が近づいてきて、いきなり
「ポリシア(警察だ)。パスポート、パスポート(を見せろ)」
と言ってきた。
右手にはIDの入った手帳のようなモノを持っていた。
モンカが、はぁ?というあきれた顔をして
「ノー」というと
彼らはすぐあきらめて立ち去ってしまった。
後で聞いた話によると、それは偽警官でパスポートを見せたら、次に所持金はいくら持っているんだと聞いて目の前で数えて、そのとき気づかれないようにお金をこっそり抜き取るそうな。歩いてランブラス通りまで戻って、再び夜のラバル地区をお散歩。
寒いのに外のテーブルにまでお客さんが溢れているバールもあった。リビーが教えてくれたおいしいチキン料理レストランで食事。
丸焼きチキン1/4+ポテトフライ、赤ワイン。
食事を終えて店の外でモンカが写真を撮っていたら、
ちょうど店から出てきたおばさんに
「人の写真を撮っちゃダメよ!」と言って注意された。
2005年12月27日(火)曇り郵便局で切手を買って年賀状を出す。
13:00リビーと地下鉄駅で待ち合わせ。
シベリアスタジオでチョカデリア・インテルナシオナールのヴォーカルのラロさんとプログラミング&ヴォーカルのマイクさんにモンカがインタヴュー。このHPで観ることが出来る2曲のPVのうち PHANKTASMA(左)でメインで歌っているのがマイクさん。CUESTAS DINERO(右)で歌っているのがラロさん。
リビーに通訳をやってもらう。
スペイン語←→日本語なのでお互い話しやすそうだった。
インタヴュー中にマイクさんがルンバ・カタラーナのCDRを2枚焼いてくれた。かなりの曲数だったけど、手書きで曲名もつけてくれた。Thanx!冷え切ってしまったので、三人で軽くお茶してからバスで戻る。
リビーはそのままバスで買い物に行った。ラバル地区のカウンターレストランで食事。
チキンカレー、ビリヤニ、オレンジジュース。グラシアを散歩。
ギャラリーになっているカフェでカフェ・コン・レチェ。
グラシアは元々はジプシーの集落があった場所だけど、今ではすっかり街に取り込まれてボヘミアンなお店などもある小さな商店が並ぶ繁華街。地下鉄でリセウ
ラバル地区のレコード屋さんをチェック。
20:00 リビー宅訪問。
モンジュイックの丘の麓にあるマンションのすてきなペントハウス。
部屋自体も広いけれど、ルーフバルコニーがぐるりと囲むようになっていてかなりのスペース。見晴らしも抜群。
タカヒロくんにも5年ぶりくらいに逢ったけど、元気そうだった。
カツライスにたっぷりのサラダ、シナモンティをごちそうになった。
旅行中は野菜不足になりがちなので、おいしいサラダがうれしかった。
バルセロナの話やバイリファンキや音楽の話など…。
気がついたら午前2:00になっていた。ストリップ劇場などがある歌舞伎町みたいなエリアを歩いてホテルまで帰ったら、もう午前3:00だった。
2005年12月28日(水)晴れリビーの家の近くの地下鉄駅Paral-lelまで地下鉄に乗って、ラバル地区をあれこれ観察しながらランブラス通り方向に歩いた。
途中インドカレー屋でランチ。
チキンカレー、蕪のカレー、ライス、ナン、コカコーラ。
モンカが店に来る途中でもらったインドのミュージシャンの写真がいくつか印刷されたフライヤーを店員に見せてこれはどこにあるんですか?って聞いたら、ちょっと待てと言ってカウンターにいたインド人青年を連れてきた。
なんとその人が写真に写っていたDJバダル本人だったのだ!
早速、モンカがお願いして店の外で写真を撮らしてもらってインタヴュー。
地下鉄で Espanya エスパーニャ広場。
モンカが21日にチャビさんに案内してもらったメキシコ・スタジオに行ってみたけど、時間が早過ぎたみたいでまだ誰も来ていなかった。
とりあえずモンカはスタジオ周辺を撮影。見た目ではよくわからないけれど、バルセロナは中南米からの移民も多い。
Sants Estacio でマルセイユ行きの急行とクシェットの指定席を買う。
DJパンコにインタヴューするため、地下鉄で移動してオホス・デ・ブルッホの事務所の場所を確認。
カフェで時間まで休憩。19:00に事務所の前で今回も通訳を頼んだリビーと待ち合わせ。
事務所ではみんなにこやかに迎えてくれた。
壁には新しいCDジャケット・デザインと一緒に2005年の日本公演のチラシも飾ってあった。
DJパンコはきょう新しいCDのジャケットの印刷見本が届いたところなんだよと言ってすごくうれしそうに曲を聴かせてくれながら、モンカのインタヴューに答えてくれた。インタヴューを終えてから、リビーと3人でカフェで一休みしてから、歩いてホテルに戻った。
2005年12月29日(木)晴れチェックアウトして荷物をフロントで預かってもらう。
地下鉄で Trinitat Nova へ行ってだいたい見当をつけて街を散策。
雑貨屋さんで背中にガラス玉が埋め込んであるトカゲの金属の蝋燭カバー?を買った。
ショッピングセンターみたいなところでカフェ。
店員さんにここはどこか地図を見せて聞いたら、思っていた方向と全然逆に来ていたことが発覚。
地下鉄でもう一度 Trinitat Novaへ 戻る。駅を出て歩いていたら、ターバンを巻いたインド人の男性が5人、駅の方からやって来た。
モンカが「インドのどこから来たんですか?」と聞くと「パンジャブです」と答えた。
実はドバイで出稼ぎをしていて国に帰る前にバルセロナに在住の友人を訪ねてきたところだった。
出迎えに来ていた人が「ウチにきますか?」と誘ってくれたので、ついていくことにした。マンションにつくとカレーのイイ匂いがした。
このマンションは買ったそうな。
男性5人で住んでいるという。
他のメンバーが部屋の奥から出てきて次々握手してご挨拶。
全員シーク教徒なのだけど、ドバイから来た人は全員ターバンして髭をはやしていて、バルセロナ組は全員今時な感じだったのがおもしろかった。
ドバイ組はアルミニウムの会社の人たちだった。おしゃべりをしていたら、お皿が出てきてアルゴビ(カリフラワーとジャガイモ)カレー、ヨーグルト、チャパティが用意された。
モンカがごちそうを前にみんなで記念撮影していたら、あちらでもビデオ撮影していた。
「どうぞ」と言われて、わたしたちもごちそうになってしまった。
レッドソルトと言って明るい赤茶色の塩を分けてくれたのでカレーに少しつけて食べてみた。
レストラン並みにおいしい食事だった!
日本人は労働許可証を簡単に取れるのかとか、携帯電話を持ってるかとか聞かれた。モントンは移民労働者じゃなくて観光客なんだけど…。
地下鉄で Jaume に戻ってホテル近くのカフェで休憩。
ホテルに戻ったら、ロビーでリビーとタカヒロくんが待っていた。
レイアール広場のカフェでおしゃべり。
その後ホテルの前でタカヒロくんとハグして別れた。
荷物を担いでリビーと一緒に地下鉄へ。
リビーともハグして別れた。これでまたしばし逢えないけど元気でね。Sants Estacio の急行乗り場へ。
電車がきてみたら、長距離用のスペシャルな電車ではなくて4人がけの対面シートの普通の電車だった。なんだかミナミ暴走の家に行くみたいな感覚。
ウトウト居眠りしていたらいつの間にかフランス側の国境の駅CERBERE に到着。看板がフランス語になっていた。
待合室には暖房がなくてかなり冷え込んでいたので、駅のカフェでカフェオレを飲みながらクシェットの到着を待つ。
乗り換えのお客さんもみんなカフェに集まっていた。
おばちゃんにいきなりスペイン語で乗り場はどこかって聞かれたけど、あっちってジェスチャーでしか説明できなかった。そうこうしているうちにクシェットがやってきた。
一番下のベッドにもぐり込む。
同じ客室にはティーンエイジャーと思われるかわいいカップル。
おやすみなさい。