2005年12月20日出国 2006年1月7日帰国
スペイン(バルセロナ)、フランス(マルセイユ)、イギリス(ロンドン)


2005年12月30日(金)晴れのち曇り一時雨

早朝5:30、同室のカップルの目覚ましが鳴って、車掌さんが大きな声で「ボンジュール!マルセイユ!」と言って各客室を回っていた。

マルセイユ駅に降り立つと辺りはまだ暗くてかなり冷え込んでいる。
まだ5時なので駅の立ち飲みのカフェしかやってなかった。そこでカフェオレを飲みながら暖をとることにする。
外人部隊と思われるグリーンベレーの兵隊さんがたくさんやってきてカフェオレと持ち込みのクロワッサンを食べていた。日本で言えばおにぎりにお味噌汁って感じなのかな。日本人と思われる東洋人もふたりいた。みんな食事するときは、ベレーを脱いで肩先に挟んでいた。

地下鉄で港近くのホテルの多い Vieux Port へ行って、ホテル探し。
まだチェックインタイムではないので、港が見えるカフェで時間をつぶす。
港では、漁師さんが船から降ろしたばかりの獲れたての魚を売っていた。

チェックインタイムまで時間があったので、ホテルフロントで荷物を預かってもらってから、まずはアラブ人街、ベルゼンス地区へ。
15年ぶりだけど、見覚えのある風景もある。
チュニジア・レストランでブランチ。
チキン・クスクス、マトン・スパゲティ、ミントティ。

フナックでCDをチェック。

ホテルに戻ってチェックイン。
CDの住所を頼りにマッシリア・サウンド・システムの事務所を探したが、見つからなかった。隣にあったハイチ、アフリカの輸入雑貨のお店で聞いてみたら、彼らは今はもういないと言われた。
その店はハイチ人のマダムのお店で、店員の若いカメルーン人の女の子とコンゴ人のおじさんがふたりテーブルでワインを飲んでいた。
一緒にどうですか?と勧められたので、コーラを飲みながら、おしゃべり。いろんな国の言葉の話などたわいない話だったけど、お互い興味津々って感じで、ちょっとイイ感じになってきたので、モンカが写真を撮ったら、みんなポーズを決めてちょっとした撮影会になっていた。お店ではハイチのコンパのCDを買ったけど、コーラはおごってくれた。

ホテルに戻ってから、近所の中華“美味”で炒飯、中華風カレー、餃子、を食べた。どれもすごい薄味で全然美味じゃなかった。
そこでは上海からやって来た人たち25人がパーティをしていて、シャンパンとオレンジをごちそうになった。


2005年12月31日(土)曇り時々雨

ニューイヤーズ・イヴをどこで過ごすか検討。
ライのライブに行こうかとも思ったけれど、街で見たポスターを頼りにZOUK REVEILLON、REVEILLON TROPCAL というズーク・パーティを2軒はしごすることに決定する。2カ所の下見に行ってみた。ZOUK REVEILLONの方は体育館のような大きな建物で、REVEILLON TROPCAL は小さなビルにあるクラブみたいなところだった。外に張ってあったポスターを眺めていたら、今晩クラブに来そうな5人組がやってきて一緒にポスターを見ていた。

ホテルに戻る途中に3匹の大きな犬を連れたラスタマンがいた。
足元にはお金を入れる入れ物が置いてあった。
モンカが撮影すると犬が警戒して吠え立てたけど、ラスタマンが制してちょっとだけ芸みたいなことをしてみせた。大道芸というにはほど遠い。
ホームレスが犬をだしにしているって感じかな。でも人柄は良さそうな人だった。

オールナイトになる可能性もあるので、ホテルで休憩して、再び21:30に出動。
ZOUK REVEILLONに行ってみたけど、このパーティは食事つきとなっていたのだけど、事前に食事をするお客さんたちが食事タイム中でまだパーティははじまっていなかった。とりあえずパーティのみのチケットを前売り価格で買う。

近所のベトナム・レストランでお茶するつもりが食事。
イカカレー、タイ風ライスどんぶり、ロータスティ。
辛すぎず寝ぼけすぎないちょうどイイ味付けでおいしかった。店の人もすごく感じよかった。大晦日ということでだと思うけどお酒をおちょこで2杯サービスしてくれた。そのおちょこは、ガラス玉が入っていてお酒が入っているときだけレンズになって底にヌードの人が見える。モンカのは女の人でわたしのは男の人だった。

23:00に会場へ行ってみるとたくさんの人が待っていた。
少し経つと中の人が手招きしてわたしたちを入れてくれた。
会場はかなり広くてテーブル席が周りにあって真ん中にダンススペースが少しある。クロークにダウンジャケットを預けるので並んでいるときにカウントダウンがはじまって年が明けてしまった。
ズーク・パーティと聞いて黒人の人たちばかりと思いきや白人の人もたくさんいて、年齢層も若い人たちばかりじゃなくて、年配の人も一緒に盛り上がっていた。みんな和気藹々として踊ったりしていた。YMCAとか懐かしのディスコ・チューンで曲はダサかったけど、フランス語の曲ではみんなで合唱して歌ったりすごくハッピーな雰囲気。

0:30にREVEILLON TROPCALに移動。
雨が降り出していたけど、すぐにタクシーをつかまえることができた。
こちらはスペースは狭いけれど、クールな黒人の人が多くて音楽もコンパ、サルサ、ズークなど選曲がなかなかよかった。3時までいたけれど、さすがに疲れてきたのでタクシーでホテルに戻った。でもお客さんたちは新たにやってきていて、まだまだこれからみたいな感じだった。


2006年1月1日(日)晴れ

ボンナネ(Bonne Annee!)

きょうは、街全体がお休みモード。
のんびり港の周辺を散歩。
港には漁船もあるけれど、プレジャー・ボートやヨットもたくさん。
日向ぼっこしている人、犬の散歩してる人、家族連れ、カップル、友達同士…。

この辺りにはブイヤベース・レストランが集中してある。
今回、生まれてはじめてブイヤベースを食べた。
ムール貝の入ったスープに別添えの丸ごとの魚2匹、輪切りの魚一個、でっかい伊勢エビみたいなエビの半分、ジャガイモ一個を入れて、ガーリックトーストを浸して食べる。
魚介類のだしが出ていておいしかったけれど、スープがどんどん冷めちゃうからカセットコンロがあるといいのにって思ってしまった。


2006年1月2日(月)晴れ

フナックに寄ったあと、ベルゼンス地区を散歩。
ベルゼンス地区は、パリのバルベスよりも大きなアラブ人街。ここに住んでいる人たちはアルジェリアやモロッコ、チュニジアといった北アフリカのマグレブ諸国から移民してきた人たちとその子孫。
通りを一本隔てただけで別世界みたいにフランスとアラブが隣り合っている。

ライのCD屋に何軒か入ってみる。アルジェリア盤のカセットテープは、プラケースではなくて、今でものり巻き状の紙にくるまっている。
マルセイユで一番有名なライのシンガー、ビラルのCDも出しているEdition Loway のレーベル・オーナー、フランソワさん(2代目)に逢って、いろいろ話を聞いた。

Desiree Clary から N.D.du Mont Cours Julien まで地下鉄で移動。
地下鉄では4回乗れるはずの切符が機械に飲み込まれてしまった。

La Plana 周辺を散歩。
この辺りはグラフィティがあちこちに描かれていてアートな雰囲気がする。漫画専門の本屋&カフェもあった。日本の漫画のフランス版も何冊かあった。

大きな音でテクノっぽい音楽をかけているお店があったので入ってみたら、サッカー・ファンのスポーツ・カフェだった。お店の中はサッカーの試合の写真が所狭しと張り巡らされている。お店の女の子がいろいろ説明してくれたけど、サッカーには全然詳しくないのでよくわからなかった。その女の子は大のキティ・ファンでもあって、去年9月に日本に行ったとき、渋谷でキティちゃんグッズをたくさん買ったそうな。ちなみにキティちゃんはフランスでは、“キチィ”と言います。

中華レストランで炒飯、鶏肉と玉子入り麺、揚げワンタン。
メニューが日本語だったんだけど、チャーハソ、揚げウソタソ、鶏肉と五子入り麺、ギヲゥザって書いてあった。ちょっとヘンだけどわかるところがポイント。


2006年1月3日(火)

ベルゼンス地区で昼食。シュワルマ、サラダ、カフェオレ、コーラ。
ホテルの近所のエル・スールみたいなCD屋さんチェック。

La Plana 周辺散歩。
公園にジプシーと思われるアコーディオン弾きのおじさんがいた。

郵便局で出し忘れた年賀状を出した。

再び公園に戻るとラジカセでレゲエをかけている黒人の人が5人くらいいたのでモンカが「どこから来たんですか?」と聞くとジャマイカ、ナイジェリア、という答えが返ってきた。他の人たちはフランス語しかわからないセネガル人だった。ジャマイカ人はシャーウィンという名前でマルセイユには20年くらい住んでいるけど、ジャマイカにはしょっちゅう行き来しているそうな。おもしろい人だった。

ベルゼンス地区の商店街のお総菜屋さんで、インゲンの炒め物、ピラフみたいな炒めご飯を買って帰った。


2006年1月4日(水)晴れ

きょうはモンカがマッシリア・サウンド・システムのタトゥさんをインタヴューすることになっていた。
地下鉄でCastellane へ行き、そこからバスに乗りLa Ciotat ラ・シオタへ。
バスで東方向に1時間ほど走るとラ・シオタに到着。
マルセイユをそのままこぢんまりとさせたような港町。
小さな港にプレジャーボートがひしめき合っている。
リゾートっぽいけど、田舎っぽい。
カモメがのんびり飛んでいた。

とりあえずカフェで昼食。
ハムチーズサンド、チキンサンド、アイスティ、水。

14:00タトゥさん宅を訪問。
いきなり本人が出迎えてくれた。
メールをくれていたマニュさんは妊娠中で大きなおなかをしていた。
てっきり事務所だと思っていたら、どうやらタトゥさんの個人宅の様子。
タトゥさんたちはお昼ご飯中でムースTのギターのブリュさんとガールフレンド?も一緒だった。「食べますか?」って聞かれたけど、「今食べてきました」と答えて、赤ワインを一杯とコーヒーをごちそうになる。

食事を終えたところでまだ太陽が明るいうちに写真を撮ることに。
タトゥさんが良いスポットがあるからそこに行こうと言って外に出る。
タトゥさんは英語が達者で歩きながらオック語についていろいろ話してくれた。みなとのブルーと白に塗り分けられた壁の前で撮影。ブルーと白はマルセイユの色なのだそう。本当は写真嫌いなのだそうだけど、いろんなポーズをしてくれた。

家に戻る途中もずっとしゃべりまくりだった。戻ってからもモンカのインタヴューに快く答えてくれて、あしたはMIC MAC とオクシタン・センターに行くとイイよと言ってその場で電話をかけてくれた。
2時間くらい滞在して帰るときにオクシタン・スタイルでと言って左右のほっぺたのところでチュッチュッとキスをして別れた。
メールでは連絡していたけれど、いきなり突撃訪問してきたわたしたちにとっても親切にしてくれた。

18:10バスでマルセイユに戻る。

マクドナルドでチーズバーガーとコーヒー。

まだおなかがすいていたので、ホテルの近所でファラフェルとミートパイを食べた。
 


2006年1月5日(木)曇りときどき雨

午前中ジプシーが多いという Belle de Mai (ベルドゥミィ)を散策。
雨が降ってきたけど傘を持っていなかったので、カフェをはしごしながら雨宿り。アコーディオン弾きのおじさんも軒先で雨宿りしながら演奏していた。

トンネルの手前の店でハムサンド、ハンバーガー、コーラ。

La Plana のカフェで休憩。

14:30オクシタンの事務所 OSTAU DAU PAIS でリーダー格のアーナウド・フロモントさん とモーリシャスから20年前に移民してきたジャギディシュさんにモンカがインタヴュー。
普通の街の人たちはほとんどオクシタンについて知らないけど、ここに来たらみんなオクシタンについて熱っぽく語っていた。
オクシタンの十字架マークのついたリュックサックの女の子もいた。
オクシタンとは、トゥールーズ、マルセイユ、ニースを含む南フランス一帯の地域を指す。オクシタンは、中世の頃、フランス中央とは異なる文化圏で、言語もまったく違っていた。でもそれは遠い昔のことで忘れ去られようとしていたが、ここ最近、意識的にオクシタンというローカル文化に根ざした音楽がたくさん出てくるようになった。

16:00 MIC MAC に移動。
わずか100メートルの距離だけど、その途中にオクシタン料理のデリバリー・カーが駐車していた。
MIC MAC はオクシタン音楽のCDを作ったり、ライヴをプロモートする会社。小さな会社でわたしたちが訪ねたときには3人しかいなかった。モンカがいろいろ話を聞く。

帰りにベルゼンスのカフェでカフェ。
アラブ人地区は不思議と気分が落ち着く。


2006年1月6日(金)曇りときどき雨

午前4時半フロントで支払いの件でもめる。
着いた日にチェックインしたときに2日分だけ支払いを済ませたはずなのに請求書にはその分が含まれていた。支払いしたのなら領収書があるはずだから領収書を見せてくださいと言われた。スーツケースの中身を掻き出してみたけど、領収書が見つからず、一応全額支払って、もし後で払っていたことが発覚したらホテルから連絡を入れてくれるということで落ち着いた。
後でよく考えたら2日分払うと言って払っていなかったみたい。モンカの勘違いだった…。大騒ぎしてごめんなさい。

タクシーで空港へ。
チェックインしたら、モンカのマイレージカードがゴールドだったので、ラウンジに行けた。わたしはいつも安チケットだからラウンジははじめてだったから、ちょっとうれしかった。

ロンドン・ガトウィック空港。
ガトウィック・エクスプレスでヴィクトリア・ステーション。
おやじパブで一休みしようと思ったけれど、全然見あたらず、しかたがないのでスターバックスでコーヒーを飲んで一休み。

地下鉄でロンドン・ヒースロー空港。
チェックイン。
そろそろ旅の疲れが出はじめてきた。


2006年1月7日(土)晴れ

成田到着。


バルセロナ編

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