21.Dec.2006 出国 10.Jan.2007 帰国ETHIOPIA / ADIS ABABA GONDAR
21.Dec.2006 Thu 晴れのち曇り夕方4時頃家を出発。羽田空港よりJALで関空に行き、エミレーツ航空に乗る。
22.Dec.2006 Fri 晴れのち曇り
UAE(アラブ首長国連邦)のドバイを経由して22日のお昼過ぎ、エチオピアのアディスアベバに到着。空港でとりあえず200US$を両替。1US$が8.75ブルなので1ブルは約14円。
空港でタクシー運転手に取り囲まれたけれど、相場がわからないので、そのへんにいたミニバスの人に、ガイドブックであたりをつけていたホテル、タイトゥ(TAITU)ホテルまで行くかと聞いたら、ふたりで50ブルなら行くというので乗り込む。走り出してから様子を見ていると、ミニバスの乗客たちはみんな1ブル50セントしか払っていない。しかも途中から貸し切り状態になり、ちょっと様子が変だなと思いつつも無事タイトゥホテルに到着、チェックインした。50ブルというのはタクシーの相場だということが後で判明。でもまあ終点からホテルまでちゃんと走ってくれたからいいか。半地下でちょっと暗くて牢屋みたいな味気ない部屋だったけど、疲れていたので私はドテッとベッドに倒れ込んだ。1泊115ブル。モンカはさっそくCD屋にリサーチに行く。
エチオピアは高地なのでもっと寒いかと思っていたけれど、昼間は半袖Tシャツでもいいくらい暖かく、夜はちょっと冷え込むけれどジャケットを着るくらいでとても過ごしやすい気候。
金曜日なのでさっそく夜間行動に出る。22時にマサラタイルというドライバーのタクシーをチャーターして、三人で沖縄の民謡酒場みたいな店アズマリベットに行く。
いくつか同じような店が並んでいたけれど、そのうちのにぎやかそうな一軒に入った。観光客と思われる白人女性と一緒に来ていたエチオピア人の男女3人の先客がいた。 三人の女性シンガーが胸を上下に揺さぶるダンスをしながら歌っていた。
楽器はマシンコという一本弦の弦楽器とカボロという太鼓のみのシンプルな構成。目の前でおっぱいをゆさゆさと揺さぶられてちょっと目のやり場に困っちゃたけど、一緒に踊ろうと手を引かれて中央に出て、両手を腰に当てて肩を左右に動かすのを見よう見まねでやってみた。このダンスはウスクスタというそうです。
マシンコを演奏していた男の人がマサラタイルにわたしたちの名前を聞いて即興で わたしたちをヨイショする歌を歌っているようだった。 踊り終わったときに10ブル札を歌手のおでこのところにくっつけた。2時間くらい歌を聴いたり踊ったり楽しんだ。
ホテルに戻ったら、マサラタイルがはじめ140ブルで約束したのに200ブル請求してきた。どうやらわたしたちが気前よく10ブル札や5ブル札をシンガーたちのおでこに張りまくっているのを見ていて、この人たちはお金持ちみたいだからもうちょっと高く請求しようと思ったみたい。でも約束だから140ブルで納得してもらった。
あとで地球の歩き方を見たらアズマリベットでは、シンガーに10ブルで飲み物代を含めて30ブルくらいで楽しめると書いてあった。地元の人が普通に来れるお店と考えたらそのくらいが相場かもと思った。
23.Dec.2006 Sat 曇りときどき晴れ部屋をチェンジ。同じ値段で広くてテーブルとソファも2脚あるし、日当たりも眺めも良くなる。ホテルのインターネットカフェでメールチェック。1分40セント。ほとんどがスパムメールでひたすら消す作業。エチオピアまで来てこんなことしてしているなんて情けなくなってしまう。
ホテルを出てピアッサを歩いていると乞食の人たちが声をかけてくるのだけど、映画館の前でシートに横たわった人は生きているのか死んでいるのかわからないような行き倒れの状態だった。その人のシートにわずかだったけど持っていた小銭全部を置いた。
商店の壁にショッピング・フェスティバルのポスターが貼られているのを見つけた。ショッピング・フェスティバルの宣伝用トラックも音楽をかけながら荷台にダンサーを乗せて走っていた。
ミニバスでメキシコへ。ひとり1ブル50セント。
地元っぽいレストランでスパゲティナポリタン、グリルチキンハーフ、コーラ、コーヒー。スパゲティはあまり味がなくて塩をかけながら食べた。お客さんはビジネスマンみたいな人が多かった。コーヒーは小さなカップに入っていておいしかった。
鉄道の駅の近くまで散歩してビュッフェ・ラ・ガールでコーヒーを飲んでいたら、ステージで機材を運んでいる人がいた。ショッピング・フェスティバルにも出演するDAWIT BAND のライヴが今夜あるそうな。その人は DAWIT BAND のキーボードで彼らのCDを売っているCDショップを教えてくれた。
タクシーに乗り、教えてくれたデンブルシティというビルの近くにあるCDショップへ行った。
デンブルシティにあった銀行は土曜日なのに営業していた。400US$両替。
CDショップの人は DAWIT BAND のリーダーのファミリーだという。CDを3枚買ってタクシーでホテルに戻ってコーヒーを飲んだ。コーヒーはどこで飲んでもおいしい。タクシーに乗っていると交差点のところで足のない人や子供や赤ちゃんを抱いたおかあさんの乞食がやってきて手を差し出す。
足のない人が両手を使って全速力で車に突進してくる。
信号で止まっている一瞬にかけているのだ。
不思議と明るい表情の人がいたりする。
20:15 ホテルを出発。タクシー(20ブル)でビュッフェ・ラ・ガールへ。スパゲティ、マルガリータピザ、コーラを注文。スパゲティもピザもおいしかった。DJタイムになってダンサーが出てきてダンスをはじめた。レゲエあり、エチオピア民謡あり。ダンサーがいないときは外人観光客のディスコタイム。
22:00 過ぎ DAWIT BAND 登場。ど演歌調のボーカルではじまった。地元のお客さんでお札をボーカルの胸ポケットに入れている人がいた。数曲後、ど演歌調のボーカルが下がって、リーダーの DAWIT さん登場。ガラッと変わって立て続けに「スタンド・バイ・ミー」「Guantanamera」「ラ・バンバ」「ホット・ホット・ホット」などスタンダードな洋楽ばかりを甘いスイートな声で歌っていた。DAWITさんはCDではアムハラ語で歌っていたけれど、最近は洋楽専門みたいだった。終わってから声をかけてショッピング・フェスティバルのことを尋ねてみると1月6日土曜日に出演するとのことだった。入り口で呼んでもらった帰りのタクシーは深夜だったので60ブルだった。
24.Dec.2006 Sun 晴れたり曇ったり明け方まだ真っ暗な時間に教会からお経のようなイスラム教のアザーンのような声が聞こえてきた。ホテルのフロントに行って何時くらいが礼拝をしている人が見られるか聞いたところ、7時頃でいいんじゃないと言われたけれど、5時15分にホテルを出て暗い道を歩いて聖ギオルギス教会へ行った。
真っ暗な中、白い布をまとった人たちが続々と集まっているところだった。建物の中に入ってみたけれど、勝手がわからずにはじめ入り口のところに立っていた。ゆっくり中に入ってモンカが写真を撮った。男女の礼拝する場所が分かれているらしかったけれど、モンカについて歩いていたら白い布を被った青年が「ここは男性の出口です」と言って女性の出口まで連れて行ってもらった。彼はブルックという名前でマラソンランナーだった。「きょうコンペティションがあるからよかったら見に来ませんか?」と誘われたけれど、お礼だけ言って丁寧にお断りした。握手して爽やかに別れた。教会に行くときにはお祈りの声が拡声器から聞こえていたから声を頼りにたどり着けたけれど、帰り道はあちこち迷いながらなんとか歩いてホテルにたどり着いた。
もう一度寝て、お昼にドロワット+インジェラ、トマトスープ。ドロワットというのはスパイシーで汁気の少ないチキンカレーのような料理で、インジェラという穀物の粉を発酵させた酸っぱいグレーの蒸しパンを薄くクレープ状にしたものをちぎって巻いて食べる。
隣の席に日本人の青年がいて話していたら、偶然にもマイミクit's me さんのマイミクあじさいさんで、ナイロビからやってきたところでした。音楽や旅の話をした。彼は学生でオーガナイザーをしている。ホテルのインターネットカフェの一番奥のコンピュータが日本語表示できることを教えてもらった。
インターネットカフェでメールチェック。部屋に戻ってモンカは日本からの持ち越しの原稿仕事に取りかかり、わたしは年賀状の宛名書き。
インジェラのせいかモンカの体調が悪くなった。
25.Dec.2006 Mon 晴れたり曇ったりインターネットカフェでメールチェック。ホテルで朝食を摂ったあと部屋でモンカは原稿書き、わたしは年賀状の宛名書き。
午後2時モンカ原稿書き上げてインターネットカフェより送信。
モンカの体調悪化。
ホテル近所の売店でバナナ6本、パパイア1個、ミネラルウォーターを買う。ホテル内で休憩。
26.Dec.2006 Tue 晴れたり曇ったりインターネットカフェでメールチェック。ホテルで朝食。郵便局で年賀状を出す。
エチオピア航空のオフィスでゴンダール行きのエアチケットを予約する。帰りの席は取れたけれど、行きはウエイティングリストになってしまった。ゴンダールはアディスアベバの北北西700キロのところにある古都。バスだと片道2日かかるので、高いけど飛行機で往復することにした。
ピアッサのCDショップで Mahmoud Ahmed の今現在現地では2枚しか出ていないCDを買う。そのお店で Mahmoud Ahmed のお店を教えてもらった。実はホテルのすぐ近くだった。
半地下になっている喫茶店でミックスジュース、アイスクリーム。エチオピアのミックスジュースは水分が少なくて濃厚、それがパパイヤ、グァバ、アボガドの3つの層になってる。ストローではなくて柄の長いスプーンですくって食べるんだけど、すごくおいしい。
Mahmoud Ahmed のお店に行って店長に聞いたところ、今本人は3週間ほど前にアメリカにコンサートツアーに行ってしまい、帰ってくるのは3月ごろとのこと。むーん残念。このお店ではショーウインドウには貴金属や時計を飾っていたので、外から見るとCDショップとは思えなかった。
お店の前でビュッフェ・ラ・ガールのDJに逢った。すぐ近くの Royal College の学生だったのだ。
歩いてマルカート(市場)を見に行きかけたけれど、なんとなく物騒な雰囲気だったので、すぐ引き返した。
カフェでコーヒー、マフィンみたいなケーキ、コーラ。ケーキはボソボソしていてあまりおいしくなかったけれど、コーヒーはおいしかった。
ホテルに戻ってきのう買ったパパイヤを半分ずつ食べる。
モンカ夜になって絶不調。
27.Dec.2006 Wed 晴れたり曇ったりホテルで朝食。
タクシーで三位一体大教会へ行った。タクシーが小さな小屋の前に止まったら、門番みたいな人がこっちこっちと手招きをするのでついていくと入場料(ガイド料込み)ひとり25ブル×2=50を取られた。でも、そこからガイドのダビジさんが一緒についてきて丁寧に説明してくれた。
まず靴を脱いで教会の建物の中に入るとステンドグラスの絵について説明してくれた。中にはお祈りをしている人がひとりいるだけだった。ずっと奥まで入って、かけてあった赤いビロードの布をはずして立派な椅子を見せてくれた。それはハイレ・セラシエがお祈りをするときに座っていた椅子とのこと。黒檀と象牙で作られていて細かい細工が施されていた。モンカはたくさん写真を撮っていた。
その後左奥にあった扉を開けるとそこにはハイレ・セラシエと王妃の大きな石の棺が安置されていた。思わず手を合わせてしまった。
ダビジさんと話していてエチオピアでは11月22日から1月6日まで断食だと教えてもらった。イスラム圏の断食とは違って、その間 ミルク、肉、卵など動物性の食品を口にしないということで日中でも植物質の食品は食べてもいいそう。
タクシーでアディスアベバ大学内民族学博物館へ行った。途中でカメラを預けるように言われたので、それ以上奥には入らないまま観るのをやめた。
アラット・キロまでミニバス。タクシーでフィルオハ・スパ・サービス・エンタープライズへ行った。
入り口でファースト・クラス ファミリー 24ブルのチケットを買って中に入った。大きな平屋建ての建物が4つくらいあり、ファースト・クラスのところに行って、係のおねえさんにチケットを渡すと石鹸2個をくれて、13番へと言われた。それぞれが個室に別れている温泉で、13番の扉を開けると十畳くらいの広さのタイル張りの部屋の真ん中に壁があって、湯船が右と左に1個ずつ配置してあった。お湯は熱々でたっぷりあって、すごく気持ちよかった。ちょっと入りすぎでのぼせてしまって、フラフラしながら入り口近くのカフェで濃厚パパイヤジュースを飲んだというか食べた。タクシーでAbiot Squareのスーパーマーケットへ行ったけど、紅茶のティーバッグがなかった。お店の人がチャーチル・ロードにある国立劇場前のスーパーマーケットならあると教えてくれたので、タクシーで行く。ここは小さい店だったけど、品揃えがよかった。
お店の前で6歳くらいの女の子にワンブルと言ってティッシュみたいなものを差し出された。どうやらティッシュを売っているらしい。日本だったらティッシュはタダでもらうものだけど、子供なのに大変だなぁと思って一個買ってあげた。
ミニバスでピアッサ。銀行で両替1US$→8.77ブル 200US$交換。銀行の入り口にいるセキュリティの人はライフルを持っていて物々しい感じ。男の人は入るときボディチェックされる。
BOOK WORLD でアムハラ語と英語の辞書を買った。185ブル。
ホテルの部屋でお茶を沸かして一休み。
タクシーでショッピング・フェスティバルの会場へ行って場所の感じをチェック。開催はあしたからだよと入り口にいた人に言われる。
タクシーでボレ・ロードにあるハビシャ・レストランへ行ったけれどまだ開店前だったので、真向かいのカフェでカプチーノを飲みながら時間を潰す。ピアッサがアジスの新宿なら、ボレ・ロードはアジスの青山という感じ。
6時過ぎお店が開店したので移動。 ドロワット(汁気のないチキンカレーみたいな食べ物)とベジタブルコンビネーションを注文。まずテーブルのところまで石鹸と水差しと桶を持ってきてくれて、手を洗わせてくれる。直径60センチの大きなお皿にそれと同じ大きさのインジェラが出てきてびっくり。インジェラの真ん中にドロワットを置いてその周りに12種類くらいのベジタブルの煮込んだものをよそってくれた。ドロワットは辛いけれど、野菜は辛くなくて酸っぱい味付けのものが多かった。わたしは食べたけれど、モンカが調子が悪くなってきて食べられなくなってしまった。もったいなかったけど、半分くらい残してしまった。
28.Dec.2006 Thu 晴れきのうスーパーマーケットで買ったパパイヤを半分ずつ食べて、荷物をパッキング。ゴンダールへ移動。
タクシーで空港まで60ブル。
ウエイティングリストなのでかなり早めに到着。まだ係の人がいないので中には入れなかった。外のカフェでコーヒーを飲んだり、濃厚マンゴジュースを飲んだりして時間を潰す。エチオピア人ガイドに連れられた白人の10人くらいの団体さんもカフェでコーヒーやジュースを飲みながら待っていた。しばらくして入り口が開いたのでチェックインカウンターに直行。ウエイティングなのでチケットは預かってくれたけど、まだチェックインできず様子を観察。どうやらさっき後からきた団体さんもウエイティングらしくわたしたちのライバルだったのだ。団体さんはガイドのエチオピア人に任せっきりでのほほんとしていた。 係の人が人数を数えたり、トランシーバーで連絡を取っている間、やきもきしたけれど、結局私たちは乗れて団体さんたちは乗れなかった。でも飛行機に搭乗してみたら8席くらい空席があったので、カウンターの人が正確に人数を掌握できていたら団体さんが乗れて私たちハネられたはず。ラッキーだった。飛行機は52人乗りのプロペラ機だった。プロペラ機に乗ったのはネパール、キューバの国内線以来3回目。
ゴンダールに到着してタクシー相乗りでホテルへ。けっこう遠くて30×2=60ブル。
フォゲラ(Fogera)ホテル。1泊215ブル。バンガローになっていてイイ感じだけど、一軒がふた部屋になっていて天井が高いせいか隣の声が響くのがたまにきず。
フロントでプロのガイドという30歳くらいの男の人に逢った。入り口にあるベンチに座って話を聞いた。名前はヨハネス。半日50US$ でガイドしてくれるという。プロフェッショナルなガイドであるという写真入りID カードも持っていた。ファラシャ(エチオピア系ユダヤ人)の村を訪ねるにはガイドを雇おうと思っていたので、ちょっと高い気もしたけど言い値どおりで頼み、デポジット10US$ を支払った。
29.Dec.2006 Fri 晴れホテルで朝食。オムレツ、トースト、オートミール、コーヒーミルク。
朝9時、ヨハネスと助手のヘルモンがやってきた。ヘルモンはユダヤ系の21歳。きょうはヘルモンが案内してくれるという。 タクシーに乗り込んで出発。
何もないのどかな道をしばらく走っていくと右側にファラシャ村という看板が立っていた。
イスラエルは過去二度に渡り、大規模なファラシャのイスラエルへの移送作戦を実行している。1984年11月から85年1月にかけての「モーセ作戦」と、1991年の「ソロモン作戦」として知られているが、それらはいずれも、エチオピアの貧困や政治混乱の中から「ユダヤ人を救い出す」という名目の「人権問題」として対外的には位置づけられていた。それぞれの作戦で、約8千人と約1万5千人が「救出=移送」されたことで、ほぼすべてのファラシャ=「ユダヤ人」がイスラエルに移住をし、エチオピアにはもう「ユダヤ人」は残っていないとのこと。
家の前におみやげ物を置いている家でダビデの星のついた小さな陶器のライオンを買った。
とても小さな村でまずここで一番有名と思われるプロシャー・ウイメンズ・クラフツ・トレーニング・センターへ行った。そこは女性たちに仕事につながる陶芸や機織りの技術を指導する施設だった。日本も機材などにお金を出しているそう。お茶をごちそうになる。
イスラム教徒ではないのにみんな「サラーム」と言って挨拶していたが、これはアムハラ語で「こんにちは」だった。次にたったひとり残っているユダヤ人とエチオピア人のハーフの女性、マリエさんの家へ行った。他のユダヤ人たちはみんなイスラエルに行ってしまったという。マリエさんは母がユダヤ人だったけどスーダンで死んでしまったためにイスラエルに行く権利を得られなかったという。ユダヤ人と言っても同じ黒人に見えるけど、ヨハネスは鼻が低いし見た目が違うと言っていた。マリエさんの名前の意味は蜂蜜だそう。エチオピア人は名前を聞いた後にかならず意味を尋ねてくる。15年前にスポンサーがついてイギリス、ドイツへ行ったとのこと。今は陶器を焼いたり、それを村人に教えたりして暮らしている。マリエさんはヘブライ語がペラペラで、庭には彼女専用の6畳くらいの広さの小さなシナゴークがあった。
マリエさんはコーヒーセレモニーをやってくれた。まず入り口に炭に乳香をのせたものを置いて香りを立ちこめさせる。わたしはこの匂いが大好き!次に生豆を香ばしく煎ってその香りを嗅がせてくれる。その豆を砕いて底の丸い壺に入れてコーヒーを淹れてくれた。大きなインジェラにバルバレ(唐辛子の粉)をオイルで練って作ったチャオという辛いペーストを乗せたものをみんなでつまんで食べながらコーヒーを飲んだ。 じぶんで取ってきたものだという蜂の巣のついている蜂蜜もお皿にのせて出してくれた。濃厚でおいしかった。コーヒーは3杯飲む。1杯目をアボル、2杯目をトナ、3杯目をバラカと言うそうな。
それから、ユダヤ人墓地へ行った。墓地の入り口に20歳くらいの男の人が5人、石を積み上げて階段を直していた。
「ここを通るなら、100ブル払ってください」というのでじーっと考えて行くのを止めようとしたら、「行くのは自由です。お金は取りません」それならと墓地に入っていくと、その人たちもついてきてジッとわたしたちの様子を見ていました。
墓は1926年と古いものから1985年(?)のお墓があってダビデの星のマークが描かれたりしていた。
墓地から出るときにもう一度モンカが工事のお金は誰が払っているの?と5人組に聞いた。ユダヤ人の観光客からもらっているという答え。モンカが20ブルを渡したらありがとうと言って右手に左手を添えて受け取っていた。ヘルモンはもう少し回ろうとしていたけれど、モンカが体調が悪くなってきたのでホテルに帰ることにした。
タクシーの中でヘルモンの話を聞いた。
おかあさんがユダヤ人でおとうさんがエチオピア聖教で、ヘルモンが3歳のときおかあさんはイスラエルに行ってしまったという。
そのときにおじさんの家に預けられてその後母親の消息はわからなくなってしまった。7歳で家を出て靴磨きをして高校を卒業したそう。今は仕事があるから楽になったよと言っていました。ホテルに戻って少し休憩。
午後ひとりでホテルから街の方へ散歩。下校途中の小学生5人に取り囲まれていろいろ英語で質問される。パパイヤを買いたいと言うとみんなで手をつないで果物屋さんへ行った。でもその店にはバナナとオレンジしかなかったので、しかたなくオレンジを3個買った。3ブル(←これは高い!)モンカに後で聞いたら、果物は種類を問わず量り売りでバナナ2本で1ブルくらいだったのだ。
夜、ヨハネスが来てきょうはどうでしたか?あしたはどうしますか?というので、明日の夜アズマリベットへ連れて行ってくださいと頼んだ。それからあさっての朝、教会へ行く約束をした。
30.Dec.2006 Sat 晴れたり曇ったりホテルで朝食、トースト、スクランブルエッグ、オートミール、コーヒーミルク。
午後1時頃、外出。ホテルの前から子供ふたりがついてくる。わたしと一緒に話していた男の子はピーターという名前で14歳くらいだと思うけど、18歳だと言っていた。「街には日本語が表示できるインターネットカフェがあるよ」と教えてくれた。
カフェに入ってわたしはコーヒー。モンカはジンジャー(ホット・ショウガ?)
モンカ不調のためタクシーでいったんホテルに帰る。
明るいうちにモンカが食べられそうな食料を確保するためにタクシーで出動。
スーパーマーケットで塩味のインスタントラーメンを発見。
待たせていたタクシーですぐにホテルに戻る。この日は事前に予約が入っていたとうので、部屋を移動することに。ちょっと安いけど味気ない部屋になってしまう。
その後、モンカ復活。
夜9時、ヨハネスが来て一緒にアズマリベット3軒はしご。3軒目のアズマリベットでヨハネスはじぶんの詩をマシンコ奏者に歌ってもらっていた。
31.Dec.2006 Sun 晴れたり曇ったり7時30分、ヨハネスと3人でタクシーに乗ってダブラ・ブラハン・セラシエ教会へ行った。たくさんの信者たちがお参りしていた。ヨハネスも帽子を脱いで塀にキスをしてお参りしていた。まず外側を一周してからモンカとヨハネスが中に入った。男性と女性の入る入り口が違うので、わたしはそのまま外のベンチで待っていた。少ししてヨハネスだけ出てきて一緒にベンチに座っていた。ミサが終わったらしく大勢人が中から出てきた。モンカも出てきて一緒にもう一度外側を一周した。途中でイギリス人の老婦人ふたり組を見つけてヨハネスは営業していた。終わったようだったので、わたしも中に入ってみた。チベット密教のお寺の中みたいな感じで壁画が壁や天井に所狭しと描かれていた。有名な黒人の天使の絵はこのダブラ・ブラハン・セラシエ教会の天井に描かれているもの。でも暗くてあまりよく見えなかった。後払いになったけど、入り口で入場料25ブル×2=50ブル払う。現地の人はもちろん無料です。
ゴンダールで有名な世界遺産のお城を見に行くが、観光客だらけでちょっと興ざめ。じぶんも観光客のひとりなんだけどね。こっちは入場料50ブル×2=100ブル。
タクシーでホテルに戻る。
お昼ホテルで、スパゲティミートソース、トマトスープ、パン、ミルクコーヒー。
モンカ体調悪くなる。