音楽の発火点
石田昌隆 

(001)ドロップ・アウト

 ぼくがここに書き留めておこうとしているのは、音楽を聴くことがトリガーとなって、発見したり、出会ったりした事柄である。

 それが結果的に、ジェネライズされうる音楽論になれば良いなと思ってはいるのだが、個人的な記憶や体験を掘り起こしながら再考するという作業がどうしても多くなりそうなので、果たしてそれが、他者にとって退屈なものにならずにすむかどうか、今の段階ではまったく見当がつかない。でも、とにかく書き始めてしまおう。

 音楽を聴き始めたのは大学生になってから。それまでは、音楽なんて気休めに聴くBGM以上のものではないとタカを括っていたのだが、音楽が好きな友達が初めてできて、いろいろ聴かせてもらったのだった。で、まっさきに感動したのは、オーティス・レディングとジャニス・ジョプリンとボブ・マーリー。こう言うと「えっ、いきなりですか?」みたいに言われることが多いけど、ぼくには信じられない。こんなに感動的で、しかも初心者にも判りやすい音楽はめったにないんじゃないかと思うからだ。ビートルズは、なんかちょっと軽い気がしたし、ローリング・ストーンズはちょっと難しかった。当時はちょうどパンクの嵐が吹き荒れていた頃なんだけど、これは要するに一種のダダイズムであるのだろうということは察しがついたけど、音楽としては全然ワケが判らなかった。

 それからもうひとつ、この頃気になり始めていたことがあった。それは、ぼくよりひと世代上の人たちがちょっと前までやっていたヒッピーとかフーテンというのは何だったんだろう、ベトナム戦争とは何だったんだろう、というようなことである。

 いずれにしろ知識は乏しかったけど、音楽を聴き始め、そういうことに興味を持ち始めたら、当時の雰囲気からして取るべき行動は一本道だった。レコード屋のエサ箱や本屋の棚を漁っているだけではたぶんダメだろう。ドロップ・アウトして、インドへ旅立つのだ。そうすることによって何かを掴み取ることができるかもしれない。

 そんなわけで、79年7月18日のこと、当時21才だったぼくは、インドに向かう飛行機に乗り込んだ。長い旅行に出た経験がある人なら、たぶん誰でも身に覚えがあると思うのだけど、ぼくもまた、微かな熱に犯されているような、あのザワザワした気持ちと、ちょっと感傷的な気分とが入り交じった複雑な感覚のなかで揺れていた。

 インドにはカルカッタから入り、鉄道やバスを乗り継いで、南インドをぐるりとまわり、ヒッピーと言うよりはヒッピーくずれと言うべき旅行者が集まっていたゴアへ行き、ボンベイ、デリーと北上してラダックまで足を延ばし、一旦パキスタンに出た後、ラジャスタンの砂漠をうろつき、ガンジス河沿いの聖地ベナレス(ヴァラナシ)に行き、ネパールに出て再びインドに入り、カルカッタに戻るという、7カ月ほどの旅行になった。

 ヒッピーくずれが集まる安宿やレストランには確かにボブ・マーリーやローリング・ストーンズが持ち込まれていたし、サンニャーシン(当時絶大な人気があったバグワン・シュリ・ラジネーシの弟子)になったヒッピーくずれなどにもあちこちで出会った。でも、彼らが拠り所にしていた音楽や思想(宗教)は、乞食が列をなしている現実の前では、脆い幻想にすぎないと思わざるをえないのだった。

(ミュージック・マガジン 1997年1月号掲載)

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