音楽の発火点
石田昌隆
(016)ガード下に響くビート
1月3日、ベイルートからセルビス(乗り合いタクシー)に乗り、ベカー高原を越えてシリアの首都ダマスカスへ。わずか3時間のドライヴだが、街の雰囲気はがらりと変わってしまう。洗練されたベイルートからやってくると、ダマスカスは沈みこんだ色の街で、初めはすべてがオンボロに見えた。
早速ホテルを決めて、街の食堂に入ったのは午後4時半頃だった。肉関係とホンモス(ひよこ豆のペースト)という基本的なものを注文して、オリーブの実やピクルスを摘みつつパンを囓る。で、がしがし食べていると、初めは他に客はいなかったのに、あっという間に満員になって立って待っている人まで出てきた。でもおかしなことに、他のテーブルにもぞくぞく食べ物が運ばれてきているのに誰も手を着けない。何かヘンだなあと思っていたら、4時50分頃、街中に響くような号砲が突然ドッカーンと鳴り、みんないっせいに食べ始めたのである。ベイルートにいたときは気がつかなかったが今シーズンは12月31日からラマダンが始まっていて、ドッカーンはこの日のラマダン明けの合図なのだった。
ラマダンの最中はイヴェント的なものはあまりないのだが、ダマスカス滞在中、迷路のようなスークの中にある老舗のレストランでテレビ収録のために催されたライヴを観ることができた。ウード、カヌーン、ヴァイオリン、タンバリン系の打楽器がふたり、それにキーボードという編成のバンドが演奏を始めると、独特の帽子をかぶり、ズボンの上にフレアの白いロング・スカートみたいなものを纏った男のダンサーが3人登場してきて、左回りにひたすらクルクル回り始めた。するとロング・スカートが見事に傘のように広がり、ダンサーの表情はしだいに恍惚感を帯びてくる。これがイスラム神秘主義と言われるシリアのスーフィーのダンスで、ダンサーはひたすら回り続けることによって頭の中が真っ白になるのだそうだ。この後、シリアの歌謡歌手が順番に4人出てきて、それぞれ30分ほどのライヴを演った。深夜1時、トリに登場したのはアスマット・ラシッドというシリアでは名の通った歌手だった。
ダマスカスのカセット屋を覗いていると、アラブ音楽の中心地は、やはりカイロとベイルートなのだということを実感する。エジプトものでは大歌手ウム・クルツームをはじめ、アブデル・ハリム・ハーフェズ、ファリド・エル・アトラシュ、モハメド・アブデル・ワッハーブといったいずれも故人の大御所、レバノンものではフェイルーズといったあたりは今でも定番だ。でも現在活躍している若い歌手のものに限っても、地元シリアや湾岸諸国のカセットもたくさんあるが、タブラ(ダルブッカ)とレッ(タンバリン)によるビートを強化しつつダンス・ミュージックとして洗練されたエジプトものと、なお歌謡性を重視しているレバノンもののカセットに勢いがあるのだ。今回の旅行中最も頻繁に聴いたのは、今やアラブで最大のスターとなったエジプトのアムール・ディアブによる“NOUR EL AIN”(リリースされたのは96年暮れ)のタイトル曲だった。昔ながらのアラブ音楽が好きなタイプのシリア人はアムール・ディアブなどの音楽を好まないようだが、手製のサウンド・システムでいつもがんがん鳴らしていたガード下のカセット屋に足を止めているようなシリア人などには、すでにビートの強い音楽の魅力が伝わっていたのである。(ミュージック・マガジン 1998年5月号掲載)