音楽の発火点

石田昌隆

(017)ラジカセ度の高い街

 大阪はラジカセ度が高いなあ、というのは4月28日の夜、屋台で買ったたこ焼きを囓りつつ、心斎橋に近いアメリカ村と呼ばれている一帯を初めて歩いたときの印象だ。

 知っている人には言うまでもないことだけど、アメリカ村は渋谷のセンター街の大阪版みたいな街で、若い子向けの洋服屋やレコード店がひしめいているところ。サイケでグラマラスでワイルドな子とすれ違う確率はやたら高かったし、ワゴン車の荷台にヒップホップやレゲエのミックス・テープを並べて売っている兄ちゃんなんかもいた。このあたりでは当然のように、渋谷のセンター街を凌ぐ勢いで、あちこちの店先から路上に向けてラジカセで音楽が流されていたのである。

 ミニ・コンポだと単にチープなステレオという印象になってしまうが、ラジカセだとなぜか、ミニマムなサウンド・システムなのだという気になってくる。そしてやっぱり、ラジカセにはヒップホップやレゲエがよく似合う。街の雑踏から生まれたストリート・ミュージックは、ラジカセを介して街の雑踏へと環流していく。ストリート・ミュージックという言い方は、ワールド・ミュージックと同じく、くくりが曖昧なだけにちょっといかがわしい感じもするが、ある種の音楽のありようを端的に突いている言葉ではあると思う。音楽の制作現場は実際にはスタジオだったりベッドルームだったりするし、ヒップホップの制作に携わっている人が必ずしもBボーイっぽいファッションに身を包んでいるわけではないかもしれない。でも根元はあくまでも雑踏の中にある。それが形あるストリート・ミュージックへと変換されていく過程にターン・テーブルとかサンプラーといった機材があり、ストリート・ミュージックが雑踏へと環流していく過程にラジカセという機材がある。音楽の循環系のなかで、ラジカセは、ドッ、ドッ、ドッ、ドッっと音を押し出しているポンプのようなものではないか、なんてことを思ったりしたのだった。

 そんなラジカセの利点は、何と言っても金のかからないところだ。ライヴやレイヴには入場料がかかるし聴きたい音楽をすべてCDで買うなんてとてもできない。でも音楽を聴きたい。そんな欲求を叶えてくれるのが、ミニマムなサウンド・システムであり、ラジオやカセットも聴けるラジカセなのだ。だから実は、ぼくがこれまで訪ねた街でラジカセ度が本当に高かったのは、クアラルンプール、カルカッタ、先月号で取り上げたダマスカス、テロが頻発するようになる以前のアルジェリアのオラン、それからメキシコシティーといった非西欧圏の都市で、それぞれの都市の音楽がそこらじゅうで鳴っていたのである。

 ただやっぱり、ラジカセの特性をパーソナル・ユースのレベルで最も良く引き出しているのはジャマイカとアメリカかなと思う。レゲエが7インチ・シングル中心で動いているのはよく知られているが、実際に7インチを買い漁るほど金を持っているジャマイカ人はあまりいない。誰かがサウンド・システムで録ってきたミックス・テープをラジカセで聴いていることが多いのだ。そしてアメリカ。この国は人口が日本のたったの2倍しかないとはとても信じられないほどラジオ局の数が多い。そしてこの国の黒人ほど、ラジカセを担いで街を歩いている姿が自然に感じられる民族はいない。ウォークマンじゃやっぱセコイもんねー、てなもんなのだ。

(ミュージック・マガジン 1998年6月号掲載)

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