音楽の発火点
石田昌隆
(019)孤独を深めるための都市
拠点をニューヨークに移して制作されたトリッキーの『ANGELS WITH DIRTY FACES』は、孤独の深さという点において、90年代屈指のアルバムである。
ここで掘り下げられている孤独という概念は、暗いとか寂しいといった表層の感覚を遙かに突き破ったところにある地下で、グツグツ煮えているマグマのようなものである。
ニッティング・ファクトリー界隈のミュージシャンにバック・トラックを演奏してもらったことにより、これまでとは異なるふくよかなグルーヴが明確に出てきて説得力が増したのは確かだが、そういうフリー・ジャズをバック・グラウンドに持つ音楽とのミックスによる進化はむしろ付随的なことで、本質はあくまでもトリッキー個人の孤独がさらに深まったという点にあるように思える。
マッシヴ・アタックの『プロテクション』(94年)に参加して、『マキシンクェーイ』(95年)でアルバム・デヴューを果たしたトリッキー。当時から一貫してブリストル・サウンズの流れを汲む音楽をやり続けているが、本人はいつもブリストルと結びつけて語られることに不快感を示していた。そしてついに拠点をニューヨークに移してしまった。しかしその理由は、ブリストルで嫌なことがあったとか、ニューヨークでひと山当てたいと思ったという種類のものではなかった。
「NYは住み心地好いね。何故ってよそ者だからさ。(中略)でもNYが自分のホームって感じになってきたら、また何処かに引っ越さないと。居心地好くなりすぎたら場所を変えなくちゃならないんだ」(クロスビート6月号)
「俺は連中(『ANGELS …』に参加したマーク・リボーなど)のことを知らなかったんだ。マネージャーが見つけてきた」(同)
これらの発言からも窺えるように、トリッキーが拠点をニューヨークに移した理由は、コミュニティーから遠ざかって、孤独を深めることにより、さらなる何かを掴み取ろうとしたからに違いない。ニューヨークはそのために理想的な都市だったのである。
『ANGELS …』を聴くために、関連CDや参加ミュージシャンがどういう糸で繋がっているのか考察することも有意義だとは思うが、その前に孤独を深めるための都市としてのニューヨークを想像しなくては意味がないだろう。ぼくの場合、日頃東京で感じている孤独の質を、わずかなニューヨーク滞在中に嗅ぎ取った街の気配の記憶と照らし合わせることによって想像することになる。
ニューヨークにはなかなか行く機会がなくて、82年にジャマイカに行ったときの前後に計3週間滞在した以外では、93年にバハマから帰る途中に1泊しただけ。このときは、セントラル・パークに面したホテルにチェック・インするやいなや、地下鉄でカリブ系移民が多いブルックリンのウーティカ・アヴェニューまで行ってぷらぷら歩き、翌朝、シーク教徒が運転するタクシーでスパニッシュ・ハーレムまで行って野良犬の写真などを撮り、奥に小さなジューク・ボックスが置いてあるカウンターだけのコーヒー・ショップで朝飯を食っただけだった。
まったく何てことのない日常の一瞬を覗いたにすぎないが、あのとき見た野良犬の姿がどうしてもトリッキーとダブってしまう。このような聴き手の思いこみを『ANGELS …』は受け入れてくれるのである。(ミュージック・マガジン 1998年8月号掲載)