音楽の発火点

石田昌隆

(022)ゾーン3のロンドン

 もしぼくが外国人旅行者で、1週間だけ東京にやって来たとしたら、どのへんを歩くだろうか。渋谷とか新宿はけっこう歩きまわるはずだ。でもそれ以外ではハトバスが行くようなコースは避けて、たとえば総武線とか京浜東北線に乗り、小岩とか荻窪とか赤羽とか蒲田あたりで適当に降りて、商店街をぷらぷら歩き、パチンコ屋を覗いたり、すすけた純喫茶に入ってスパゲティー・ナポリタンとホット・コーヒーのセットを食べたりして過ごすだろう。なぜなら、中心部でもなく郊外でもないグレイ・ゾーンの一帯に都市の日常が最もよく現れるということをぼくは知っていて、実際外国の都市を訪ねるとき、だいたいこんなノリの旅行をしてきたから。

 そんなわけで、地下鉄やバスを利用してロンドンを歩き回るとき、必ずお世話になるのがトラヴェルカードという乗り放題チケットである。ロンドンは中心部をゾーン1、外側に行くに従ってドーナツ状にゾーン2、3、4…と区分されていて、トラヴェルカードはどのゾーンまでカヴァーするかで値段が決まっている。ゾーン1にロンドンの山手線にあたるサークル・ラインがすっぽり入っているので、買い物したりクラブに行ったりみたいなことはどうしてもゾーン1での出来事となることが多い。でもぼくが最もロンドンらしいと感じるのはゾーン2〜3あたりなのである。ロンドンに行ったらどちら向きの地下鉄でもよいから乗って外側に20分ぐらい走った駅で適当に降りて街を歩いてみてほしい。そこでは想像以上にさまざまな民族が入り混じっている普通に汚い本当のロンドンと出会えるはずだ(ウインブルドンやリッチモンドに向かう西行きディストリクト・ライン沿線を除く。ここだけ東急東横線って感じ)。

 「エグい、クサい、ウマい、ごちゃまぜ」これは6月に出たカズコ・ホーキ&フランク・チキンズが書いたロンドンエッセイ&ガイド『ディープなロンドン』の腰巻きコピーだ。カズコ・ホーキは、ミュージシャン兼パフォーマンス・アーティストである以前に、ゾーン3のロンドンのトテナムという街に住む在英邦人として、あの日本語訛の英語でもって街の仕組みを理解してきた過程で自然と身についてしまったゾーン3的ロンドンのフォークロアがひときわディープな人なのである。この人ほど本当に普通のロンドンを語れる日本人はいないのではないかとマジに思う。

 ぼくがカズコ・ホーキと初めて会ったのは本誌92年6月号でインタヴューしたときだった。そのとき以来いつかロンドンでカズコ・ホーキを撮りたいと思っていたのだが、96年1月にやっとその機会が訪れた。トラヴェルカードで移動しつつトテナムまで行き、しばらく街をぷらぷら歩いてからパブに入り、レモネードを飲んでひと休みしたとき、いきなり連絡してみたのだが、運良く家にいてすぐパブまで出て来てくれたのだった。クリスマスの飾りがまだ残っていたスワンという名のそのパブで、クリケットのテレビ中継に見入っていたガーナ系のおじさんたちをバックに、スロットマシンをやっているフリをしてもらって撮ったのがこの写真。

 カズコ・ホーキが語るロンドンが本当に普通のロンドンであり、トテナムで撮ったカズコ・ホーキのいる風景が本当に普通のロンドンなのだ。なぜなら、ロンドンで生まれたさまざまなタイプの音楽を長年聴いてきて掴んだ感覚と、ばっちり整合するからである。

(ミュージック・マガジン 1998年11月号掲載)

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