音楽の発火点

石田昌隆

(023)ビッグ・ビートの享楽

 巷ではファットボーイ・スリムが大流行。『ロングウェイ・ベイビー!!』はやたらポップでキャッチーで、そしてとことん享楽的なダンス・ミュージックだ。この音楽はいったいどこから沸いてきたのだろうか。

 ジャンル的にはビッグ・ビートということになっている。ビッグ・ビートを音楽的に定義するなら「トリップ・ホップのBPMを速くして、ちょっとノイジーにしたって感じかな」というファットボーイ・スリムことノーマン・クック自身の説明(日本盤ライナーより)がとりあえず判りやすい。でも、今やビッグ・ビートを代表する1枚となった『ロングウェイ・ベイビー!!』を聴いて最も印象深かったのは、そういうスタイル上の特質ではなく、さまざまなルーツを持つ音楽をコラージュしていながら見事にそのルーツをかき消して、よく言えば享楽的、有り体に言えばからっぽな音楽に作り上げていたところだ。

 これはほとんど、バレアリック・ビーツの今日的解釈だなと思った。バレアリック・ビーツというのは、80年代終盤から90年代初頭にかけて演られていたイビザ島っぽいアティチュードを持つハウスを基調としたダンス・ミュージックのこと。地中海に浮かぶスペイン領バレアレス諸島に属するイビザ島は60年代のサマ−・オヴ・ラヴの時代からヒッピーが溜まっていたことで有名な島で、ネイティヴな島民がどんな感じなのか想像つかないが、とにかくここには、その後もなぜかDJだのクラバーだのが集まるようになって、独自のディスコ文化が築かれていた。そしてそこでは、南の島というロケーションのためか、ひたすら享楽的にダンス・ミュージックが消費されていたのである。

 当時ぼくは、そんなバレアリック・ビーツに若干の違和感を抱きつつ、グラウンド・ビート関係や、まさにこのノーマン・クックのプロジェクトだったビーツ・インターナショナルなど、黒人音楽をちゃんとリスペクトしつつ新たな何かを積み上げていた音楽に惹かれていた。そんなこともあって、バレアリック・ビーツがイギリス本国にフィード・バックして、労働者階級の陰影を湛えたロックと結びつき、たとえばバレアリック・ビーツの代表的DJだったポール・オークンフォルドがウエアハウス・パーティーからレイヴへと発展していたハッピー・マンデイズのリミックスをやったときには、からっぽだと見くびっていたバレアリック・ビーツの現場の力に目を覚めさせられたものだった。

 そんな反省もあってというか、あのビーツ・インターナショナルをやっていたノーマン・クックがヘンなことをするはずないしという確信があるというか、とにかくぼくには『ロングウェイ・ベイビー!!』が問題作としてのしかかってしまった。

 ファットボーイ・スリムのビッグ・ビートに未来はあるのか、ノーマン・クックが今何を思っているのか、最近のインタヴューに目を通してみても今ひとつ判らない。ただひとつはっきりしていることは、ソムリエがワインを選ぶようにツーっぽくビートを組み上げる手法としてのDJにはすでに限界を感じていて、なるべくバカっぽく、でもユーモアのある音楽を作ろうとしているということ。享楽の果てにはかならず暗闇が横たわっているはずだが、限界まで引っ張ってその暗闇を見せないようにすることによって、より深い暗闇に近づこうとしているのかもしれない。

(ミュージック・マガジン 1998年12月号掲載)

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