音楽の発火点
石田昌隆
(025)ブラジルへ行こう
カエターノ・ヴェローゾのアルバムで最も愛聴したのは、実は“Cinema Transcendental”(79年)だったりする。声の美しさ、メロディーの美しさはとりわけ絶品で、何度聴いてもうっとりしてしまう。
カエターノが音楽活動を開始したのは64年、初めてビートルズを聴いたのは66年、レコード・デヴューが67年、トロピカリズモ運動、その象徴的アルバムである『トロピカリア』の発売、そして逮捕拘禁されたのが68年、ロンドンに亡命していたのは69年から72年。ブラジルの民主化が大幅に進み、テレビ、ラジオ、新聞の事前検閲が廃止されたのが78年(64年に始まった軍政が正式に民政に移行するには85年まで待たなくてはならなかったが)。深刻な経済危機が始まったのが81年。
つまり、カエターノのアルバムのなかでも最も毒気が薄い感じで、バイーアのイタポアンで撮った写真だと思うけど、スカッと晴れた日のビーチに座っている後ろ姿をジャケットに使った“Cinema Transcendental”は、つかの間の平和な時代に録られた極度に美しいアルバムなのだった。トロピカリズモ運動前後の革新性や、90年代に入ってからさらに実験精神が旺盛になり進化し続けているカエターノの歴史がクローズアップされる今、改めて聴けば、何も起こらないという狂気がふと想起させられたりもする。
70年代終盤がカエターノにとってつかの間の平和な時代だったということは『ムイト』(78年)に「テーハ」が収録されたことからも窺える。この曲は、68年に逮捕拘禁されていたとき留置場の独房で見た雑誌に掲載されていた地球の写真を思い出して書いたという。そんな余裕があった時代なのだ。
で、その「テーハ」が新作ライヴ『プレンダ・ミーニャ』で演奏されている。『リーブロ』(97年)で大胆に導入されたアフリカ系打楽器がここでも使われていて、オリジナルを遙かに凌ぐかっこ良さで迫ってくる。そしてなにより、68年の出来事を78年に回想して作った曲を98年に最新のスタイルで演るという時間軸の壮大さに感動してしまう。『粋な男 ライヴ』(95年)に『トロピカリア2』(93年)からの曲「ハイチ」が収録されたときも話題になったことだが、ポリティカルな状況が音楽に置き換えられるとき、どのよな反応が起こっているのだろうか。
それにしても未だに想像できないのがトロピカリズモ運動前後の風景だ。サンバ〜ボサノヴァと来たなかに突如ロックの要素が導入されたことに対する保守的な人たちの反発は想像できなくもないが、なぜカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルが危険分子とみなされて逮捕拘禁されるところまでいったのか。ジョルジュ・ベン(現ベンジョール)やバリバリにサイケなかっこをしていたムタンチスがなぜ咎められなかったのか。軍事政権の締めつけは実際のところどんな感じだったのか。カルトーラやネルソン・カヴァキーニョといったリオ・デ・ジャネイロのファベーラ(スラム)のサンビスタたちは、その頃トロピカリズモ運動をどう見ていたのか。
ぼくは根本的なところが判らないまま断片的にブラジル音楽を聴いてきたような気がする。ここはやはり、一度はブラジルまで行かなくてはならないだろう。というわけで、98年12月18日、初めてリオ・デ・ジャネイロにやってきたのである。(ミュージック・マガジン 1999年2月号掲載)