音楽の発火点
石田昌隆
(029)ワン・ドロップ
クラッシュの「バンクロバー」(80年)を久しぶりに聴いてみた。「俺の親父は銀行強盗だった」という歌詞で始まるこの曲は、ワン・ドロップというレゲエのリズムを使っている。プロデュースはマイキー・ドレッドというジャマイカ人だ。
クラッシュはこの曲より前に、「ポリスとコソ泥」や「プレシャー・ドロップ」といったレゲエのカヴァー曲を演っていたし、プロデューサーにリー・ペリーを迎えた「コンプリート・コントロール」という曲があったりもした。しかし、ジョー・ストラマーとミック・ジョーンズによるオリジナル曲を、ワン・ドロップというコアなレゲエのリズムにどっぷりハメたという点で、やはり「バンクロバー」は異色の曲だった。
この曲は当初、レコード会社の判断でイギリスでのリリースは見送られた。その理由は、デヴィッド・ボウイのレコードをいっぺんに逆回転させたみたいでひどい(?)というものだったらしい。つまり、レゲエを取り入れつつも、あくまでもロックであるという一線を維持することが理解されうる範囲での変革だが、この曲はロック・バンドのプライドを捨ててレゲエに取り組んでしまった、したがって売れっこないと判断されたのだと思う。当時はポスト・パンクの変革期だったが、意識の壁はまだまだ厚かったのである。
「バンクロバー」は結局、オランダで出たシングル盤のB面に収められることになった。しかし、それが輸入盤としてヒット・チャートを登ってしまい、今ではクラッシュの代表曲のひとつとして古典化している。
一方、この曲をめぐるレゲエ・サイドからの典型的な見方はこんな感じだった。
――ロック・ミュージシャンとの活動は、ジャマイカの人には関係のないことでしょ。なぜそれにあなたはエネルギーを使うんですか。
「音楽は、あくまで内容なんだ。ロック・グループでも、クラッシュのようなグループは、政治的でミリタントな音楽をやっている。彼らは我々レゲエ・アーティストのように、何かを守ろうとしている。だから彼らと仕事をすることについては、何の問題もない」
これは本誌83年2月号に掲載された高地明さんとマイキー・ドレッドのやりとりである。この「ロック・グループでも」という言い訳がましい答えかたをせざるをえないところに、黒人の側からも壁を作っていた当時の雰囲気がよく表れている。
ワン・ドロップは、グレゴリー・アイザックスやイエローマンのトラックを演奏していたルーツ・ラディックスによって80年代初頭に完成されたレゲエのリズムだ。この本物のワン・ドロップに較べれば、クラッシュの「バンクロバー」の演奏はけっこう拙い。しかしここには、当時のイギリスの壁がある状況が見事に封印されているのだ。
ところで「バンクロバー」を改めて聴くきっかけとなったのは、3月30日に赤坂ブリッツで行われたソウル・フラワー・ユニオンのライヴだった。このとき、新作『ウインズ・フェアグラウンド』に収録されている「戦火のかなた」という曲が、アルバムとは大幅に異なるアレンジで演奏されていた。ベースがワン・ドロップのビートを刻んでいたのである。ぼくはてっきり本物のワン・ドロップの影響かと思っていたが、終演後ベースの河村博司に尋ねてみたら、クラッシュの曲から引用したと言ったのである。(ミュージック・マガジン 1999年6月号掲載)