音楽の発火点
石田昌隆
(032)マーダー・バラッド
パソコンに組み込んである研究社新英和中辞典によれば、“Ballad”をバラードと読めば〈センチメンタルなラブソング〉となるが、バラッドと読めば〈 物語、民謡、物語詩〉となるそうだ。つまり、マーダー・バラッドとは殺人物語のことである。
ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズが、殺人をモティーフにした曲ばかり集めたアルバム『マーダー・バラッズ』(96年)をリリースしたとき、ニック・ケイヴは、このような発言をしていた。
「殺人のことを歌ったトラッド・ソングなんかが、ぞくぞくするほど大好きだった。例えばアルバムの中の〈スタッガー・リー〉もそういう曲の一つさ。よく聴いて楽しんでいたからね」(クロスビート96年2月号)
『マーダー・バラッズ』は、基本的にはニック・ケイヴによって書かれたオリジナル曲で構成されたものだが、「スタッガー・リー」のほかに、もう1曲「ヘンリー・リー」というトラッド・ソングが歌われている。これは、歌詞もアレンジも大幅に変えられているが、ベックもドップリ浸かって成長したといわれている“Anthology Of American Folk Music”(52年。97年にCD化)に収録されている曲だ。
このような殺人のことを歌ったトラッド・ソングは、日本に当てはめれば「かごめかごめ」とか「ずいずいずっころばし」みたいに、アメリカ人なら誰にでも刷り込まれている陰のある民話のような歌なのだろう。
ニック・ケイヴはアメリカ人ではないが、旅のさなかでこのようなアメリカン・ゴシック的な感覚を掴んだのか。それとも、少年期を過ごしたオーストラリアで、すでにこのような伝統の洗礼を受けていたのだろうか。
ニック・ケイヴは、これ以前にも『キッキング・アゲインスト・ザ・プリックス』(86年)で、「ヘイ・ジョー」というジミ・ヘンドリックスなどもカヴァーしていたマーダーもののトラッド・ソングを演っていたし、『ザ・ファースト・ボーン・イズ・デッド』(85年)の段階で、すでに「テュペロ」という極めてアメリカン・ゴシック的なプロットに基づく歌を歌っている。
テュペロというのはミシシッピ州に実在する町だが、「テュペロ」は、あたかもテュペロという架空の町を舞台にした寓話のような詞の曲である。この曲は明らかに、ニック・ケイヴが85年から3年間かけて書き上げたユクローレという架空の町を舞台にした小説『神の御使い』(原題は“And The Ass Saw The Angel”89年)とリンクしている。そしてこの小説は、フォークナーというアメリカン・ゴシック的な感覚に基づく作家によって書かれた、ミシシッピ州ヨクナパトーファ郡ジェファソン町という架空の町を舞台にした小説『アブサロム、アブサロム』(原著は36年)の影響を受けているはずだ。
ニック・ケイヴといえば、なぜかつい最近リリースされたザ・バースデイ・パーティの『ライヴ81-82』で聴けるような初期の破滅的なパフォーマンスや、映画『ベルリン天使の詩』(88年)に使われた「フロム・ハー・トゥ・エターニティ」(オリジナルは84年の同名アルバムに収録)、『テンダー・プレイ』(88年)などで聴ける内省的なラヴ・ソングが何と言っても素晴らしいが、その蔭に、アメリカン・ゴシック的な感性が、とくとくと流れていたのである。(ミュージック・マガジン 1999年9月号掲載)