音楽の発火点

石田昌隆

(033)荒廃した都市のノイズ

 1980年は、ポーランドで大規模なストライキが起こり、ワレサ議長が率いる自主管理労組、連帯が発足した年であり、西ベルリンで暮らしていた少女、クリスチアーネ・Fが、ヘロイン中毒になり、どろどろに身を崩していった過程を克明に描いたノンフィクション“Wir Kinder vom Bahnhof Zoo”(邦訳本は『かなしみのクリスチアーネ 我ら動物園駅の子供たち』。81年)が出版されてベストセラーとなった年である。

 それはつまり、ほとんどヴェールに覆われていた東側の庶民の顔が見え始めたということを意味し、東側に最も近い西側の都市、というか正確に言えば、東ドイツにすっぽり囲まれ、壁の中で孤立していた西ベルリンという都市が、退廃という美しい響きの言葉で形容されることを拒み、荒廃というリアルな現実のなかにあることを意味していた。

 東欧の民主化とベルリンの壁の崩壊が雪崩のように達成されたのは89年だが、そこに至る重要な節目がこの時期にあった気がする。

 そんな80年に、ブリクサ・バーゲルトが率いるアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンは、西ベルリンのなかでも、廃墟とスクワッター、トルコ系移民などがひときわ多い壁際の地区、クロイツベルクを拠点に活動を開始した。

 街で集めたジャンクを打ち鳴らしてノイズの渦を巻き起こすというその音楽は、この時代のベルリンの、荒廃したストリートの雰囲気を見事に反映していたのである。

 その音楽に対して、外国のプレスなどは、イギリスのインダストリアル・ノイズ・ミュージック、つまりスロッビング・グリスルの流れを汲んでいるとみる向きが多かった。しかしぼくは、両者の音楽は似て非なるものだったと確信している。スロッビング・グリスルのノイズは、大学で社会行政学を専攻したインテリによるアートにすぎないが、ノイバウテンのノイズは、荒廃した西ベルリンで暮らしている日々の感情を表現したソウル・ミュージックとして聴こえたのだ。あるいは、ブリクサが好きだったカンの音楽を、当時の西ベルリンという社会状況のなかでフィジカルに再構築したものだと言っても良い。

 いずれにしろ、ベルリンの壁が存在していた時代のノイバウテンの音楽は、今聴いてもガツンとくるのだ。とりわけ、『患者O.T.のスケッチ』(83年)、『半分人間』(84年)、エイドリアン・シャーウッドがリミックスした「ユー・グン」(84年)などは。

 ベルリンの壁が崩壊した後のノイバウテンは失速していくこととなるが、ぼくはそれもまた宿命的なことだと受けとめている。ノイバウテンの最新作は『エンデ・ノイ』(97年)だが、やはり無惨な出来ではあった。

 それでも『エンデ・ノイ・リミックス』(98年)が出て、アレック・エンパイアや、プッシー・ガロアの『シュガーシット・シャープ』(87年)で「ユー・グン」のカヴァーもやっていたジョン・スペンサーなど、10人(組)が1曲ずつリミックスをやったのである。これはオリジナルよりは力のあるアルバムになったが、やはりほとんど注目されることはなかった。しかし、ぼくはこのアルバムを聴いたとき実感したのである。ネタこそ『エンデ・ノイ』のものを使っているが、これは、かつてノイバウテンが表現していたノイズのソウルに対するトリビュート・アルバムだったのではないかと。

(ミュージック・マガジン 1999年10月号)

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