音楽の発火点
石田昌隆
(006)むき出しの快楽
メキシコ・シティーの旅行代理店で、ハバナ往復の航空券と6泊分のホテルとビザの代行取得がセットになったツアーを548ドルでゲット。12月25日、ついにキューバの土を踏む。
キューバといえば94年頃、手作りの筏などに乗った難民が大量に流出して、崩壊寸前みたいに言われていたことも記憶に新しい。でもその後、どういうわけか持ち直して、観光客も年々増加。今や観光産業が砂糖の輸出を凌ぐ最大の外貨獲得源となっている。
実際、古い街並みがひときわ美しくて、タイム・スリップしたように50年代のアメ車が平気で走っているハバナ・ヴィエハ地区などは、観光客だらけ。とてもあのジャマイカの近くの島とは思えない感じで治安は抜群に良いし、ある程度ドルを持っていれば快適に過ごせるシステムが整っているのだ。でもぼくは、そこに官製の虚構の街みたいな違和感を抱かずにいられなかった。
現在のキューバは、ドルとペソの二重経済になっている。たとえば観光客向けのドル払いのカフェではコーヒー一杯が1ドルはするけど、地元民が集まるペソ払いのカフェでは1ペソ(1ペソは約5円)以下といった具合。そんなイビツな状況のなか、キューバ人がドルを所持することも正式に認められたらしく、観光客向けに白タクとか、もぐりの民宿やレストランを始めてドルをため込む層なども出てきて、なし崩し的に市場経済化が始まっているようだ。難民の流出が激減したのは、そういうビジネス・チャンスが増えたからかもしれない。平等に貧乏でみんな良い人という時代はもうすぐ終わり、ぼくが抱いた違和感が払拭されることと引き替えに、もっと欲望が目に見える社会になる気がする。
そういう変化しつつある状況は、当然音楽にも反映されている。現在最も元気なキューバ音楽、エネヘー・ラ・バンダとその後の若手サルサ・バンドたちには、それがとりわけ顕著に表われているように思う。
キューバでは、パラシオ・デ・ラ・サルサでアダルベルト・アルバレス・イ・ス・ソン、カサ・デ・ラ・ムジカでエネヘー・ラ・バンダのライヴを観たのだが、若手シンガーをフロントに立てつつも思っていたより老け込んでいたアダルベルト・アルバレスに対して、あまり期待していなかったエネヘーのカッコ良さは鮮烈だった。
前座のバンドや、いかにも社会主義国っぽいサーカス芸のパフォーマンスに続いてエネヘーが登場したのは夜中の1時過ぎ。15ドルの入場料をどうやって払ったのか(あるいは払わずに入ったのか)知らないが、お洒落した女の子たちがいつのまにかダンス・フロアの前の方に集まってきた。
『エネヘ・ラ・バンダ・ライブ・イン・ジャパン』(93年)ではジャズ/フュージョンっぽさが鼻についていたけど、そういうツーンとした展開にはならずに、地元ならではの猥雑さとセンティメントでぐいぐい攻めてくる。リーダーのホセ・ルイス・コルテスがすぐフロントに出てきて、ちょっとエッチなオヤジぶりを発揮しつつ煽るため、フルートを吹きすぎないのも良い。
そして最後の曲「コンガ・デル・ネグロ・カンサード」では、客の女の子がひとりづつステージに上がってダンス・コンテスト状態に突入。むき出しの快楽が炸裂して、違和感を抱く間などなかったのである。(ミュージック・マガジン 1997年6月号掲載)