音楽の発火点
石田昌隆
(010)奇跡的ライヴ盤
フェラ・クティがシュラインで演っていた怒涛のライヴが、あの独特の雰囲気までしっかり捉えて録音されていたら…、そんなことを思うと本当に残念でならない。でも考えてみれば、毎月膨大な量のCDがリリースされているというのに、なんでこういうものがライヴ盤に残らなかったのだろうという場面は他にもあったことに気づく。
たとえば、ヒップホップ創成期にDJクール・ハークがサウス・ブロンクスで行なっていた本物のブロック・パーティーを捉えたライヴ盤なんていうものもないし、全盛期のイエローマンによるサウンド・システムでのライヴをしっかり捉えたものもない(82年録音の“ACES INTERNATIONAL”などで片鱗を窺えなくもないが、細切れに編集されていて、実際に現場に居合わせたことがあるぼくとしては、あんなものではなかったという思いが強い。ターンテーブルが1台だった時代のラヴ・ア・ダブ・スタイルのサウンド・システムが最高にカッコ良かったことについては、本誌7月号でランキン・ジョーも語っていたが、それを裏付ける決定的レコードはない)。ちゃんと記録されることなく消滅して二度と再現されることがない音楽の現場。もし出会えていれば、グッとくる素晴らしい現場がまだまだあったに違いない。
でも、そんな音楽の現場が奇跡的に記録され、残されたライヴ盤を、いくつかなら思い浮かべることができるのである。アマリア・ロドリゲスがリスボンのファド酒場で歌う情景を見事に捉えた55年録音の『カフェ・ルーゾのアマリア・ロドリゲス』、マジック・サムがシカゴの黒人街ウエスト・サイドにあるクラブで演っていた雰囲気がムンムン伝わってくる63/64年録音のレコード(69年のアン・アーバー・ブルーズ・フェスティヴァルでのライヴ録音とのカップリングで『マジック・サム・ライヴ』として出ている)、エリゼッチ・カルドーゾがリオデジャネイロの劇場で熱唱する様子が時を越えて蘇る68年録音の『ジョアン・カエターノ劇場のエリゼッチ・カルドーゾ』などなど。
毎月の新譜を聴くことに疲れると、ぼくはついこういうCDに手を伸ばしてしまう。そんなときは決まって、ちょっと旅心がくすぐられたような気分になる。
それにしても『カフェ・ルーゾのアマリア・ロドリゲス』が残されたことによって伝えられた音楽の現場は、ぼくが生まれるより前の55年に本当に存在していたわけである。アマリアは当時35才。ギターラ(ポルトガル・ギター)とヴィオラ(ギター)だけという、シンプルながら実にニュアンス豊かな伴奏で歌うここでのアマリアは、すべてが限りなく美しい。深淵から湧き出るように立ち上がる艶やかな声、そして伸びがある節回しに込められた想いは、すうっと胸に染み込んできてぼくを捕らえる。当時のアマリアに匹敵する器量がある現在の女性ヴォーカリストとなるとビョークぐらいしか思い浮かばないほど。さらにこのカフェ・ルーゾというファド酒場の雰囲気まで見事に捉えていて、聴くたびにリスボンへの思いが募るのだ。
アマリア・ロドリゲスを撮ることができたのは90年の来日公演のとき。もはや『カフェ・ルーゾのアマリア・ロドリゲス』のようなライヴは望むべくもなかったけど、70才のアマリアを楽屋で撮らせてもらったときの不思議な感慨は今でもはっきり覚えている。(ミュージック・マガジン 1997年11月号)