音楽の発火点

石田昌隆

(012)猥雑さを突き抜けた果てに

 ジェイムズ・ブラウンの音楽は未だに全貌が明らかになっていない。そこにはまだ発見されていないビートの秘密が潜んでいるのではないか。ドラムン・ベースを聴いていると、ふとそんな考えが頭をもたげてくる。

 ロニ・サイズは、レプラザントfeat.ロニ・サイズの『シェア・ザ・フォール』についてこのような発言をしている。


 「ソウルとレゲエのヴァイヴを自分なりに1枚のアルバムにまとめてみたかったんだ。(中略)よくね、“君の音楽にはジャズを感じるよ”って言われるけど、そういう時は“違う違う、そうじゃなくてジェイムズを感じとってくれないかな”って説明しているんだ。僕のルーツはジェイムズ・ブラウンが一番強いからね」(『ワッツイン・エス』97年12月号)

 LTJブケムはこんな発言をしていた。

 「ブレイクビーツはそもそも、60年代のロック、70年代のジャズやソウルからきているんだ。ジェイムズ・ブラウン(中略)とかから」(ミュージックマガジン先月号)

 これらの発言の意味はこういうことではないだろうか。ヒップホップ/レア・グルーヴの時代に、レコードからフレーズ・サンプリングしたものをループさせるという手法が一般化したことによって、ジェイムズ・ブラウンのビートが再発見されたわけだが、ドラムン・ベースの時代になって、サンプリングした音を細かく切り刻んで編集したり、ブレイクビーツ感覚がある生演奏を組み合わせたりしてビートを構築するようになると、さらにもう一歩踏み込んだところでジェイムズ・ブラウンのビートに目覚めたみたいな。

 ドラムン・ベースも、突き詰めればアフロから派生したはず。その道のりについて考えてみよう。

 ルート(1)、アフロ〜ミニマル・ミュージック〜クラフトワーク〜デトロイト・テクノ〜ドラムン・ベース。

 ルート(2)、アフロ〜ブルーズ〜R&B〜レゲエ/ダブ〜ドラムン・ベース。

 本来、単純な道筋に集約して語れるようなものではないけど、このふたつは判りやすい流れである。でもぼくが今考えているのは、もうひとつの道のりについてなのだ。

 ルート(3)、アフロ〜フェラ・クティ〜ジェイムズ・ブラウン〜ドラムン・ベース。

 このルートには、ちょっと前までジェイムズ・ブラウンとドラムン・ベースの間に“ヒップホップ〜トリップホップ”という要素が介在していた。ところがドラムン・ベースが進化していく過程で、蛇行しながら流れていた大河が三日月湖を切り放して一直線に繋がってしまった。今はこのダイレクトなルートを通じて、複雑に詰まったビートでありながらゆったりしたグルーヴを合わせ持つポリリズミックな感覚が、グイグイ流れ込んで来ているような気がするのだ。

 ジェイムズ・ブラウンのファンクの出発点は「アウト・オヴ・サイト」(64年)ということになっているらしいが、実際にそういうポリリズミックな感覚がはっきり現れたのは「コールド・スウェット」(67年)あたりからで、やはり70年代初頭の頃の曲がとりわけ深いように思う。ともあれドラムン・ベースを聴き慣れた耳でここらへんの曲を改めて聴いてみると、猥雑さを突き抜けた果てに刻まれていたピュアな音の粒のようなものが、おぼろげに見えてくるのである。

(ミュージック・マガジン 1998年1月号掲載)

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