音楽の発火点

石田昌隆

(031)パシフィカという概念

 最近のニュースで最もインパクトがあったのは、カシミール地方の領有を巡って長年続いている印パ紛争が激化してきて、パキスタンの民兵が侵入したカルギルという村をインド軍が空爆したというものだ。カルギルは、79年にぼくも行ったことがあるので知っているのだが、本当に小さな村なのだ。で、あんなところに爆弾落としちゃうわけ〜、と思うことができるのだけど、コソヴォに関してはあまり想像力が働かない。

 ミロシェヴィッチがコソヴォでは少数派のセルヴィア人に向けて「もう惨めな思いはさせない」と演説して、アルバニア系住民が多数を占めるコソヴォの自治権を縮小したのは89年のことだが、セルヴィア人はそれまでどのような迫害を受けていたのだろうか。それから10年経ち、こんどはセルヴィア人によるアルバニア系住民の民族浄化が問題となったわけだが、もしNATOが空爆に踏み切らなかったら、虐殺はさらに横行したのだろうか。NATOの空爆によってコソヴォのインフラが激しく破壊され、誤爆でアルバニア系住民の死者さえ出ているのに、アルバニア系の難民がことごとくNATOを歓迎しているのは、やはりセルヴィア人による民族浄化が相当ひどかったからではないのか。だとすれば、NATOの空爆によって結果的に死者の数を減らしたことになるが、それは広島と長崎に原爆を落としたことにより地上戦を回避できたから結果的に死者の数を減らすことができたという論理と同じで乱暴な考え方なのか。ポルポトの虐殺やルワンダのフツ人によるツチ人の虐殺のような100万人単位の大虐殺は、大国による“人道主義的軍事介入”があれば死者の数を大幅に減らすことができたのではないか。ぼくには判らない。

 最近、旅行マニアが集まるあるホームページのBBSを覗いていたら、NATOの誤爆で中国大使館が破壊されて以来、団体観光客以外の旅行者のチベットへの入域許可証の取得が難しくなったということを知った。中国政府は、誤爆を口実にチベットを外国人の眼から遠ざけようとしていたのだ。で、そのBBSでは個人旅行者が入域許可証を取得するワザについて議論されていたわけだけど、それはチベッタン・フリーダム・コンサートなどで空虚なメッセージを振り回すことより意味があるのではないか。

 90年代を振り返って真っ先に考えること、それは、東西冷戦の終結によって平和が訪れるほど世界は単純ではなかったということだ。東アジア地区に関して言えば、まず中国という大国があり、その周縁に、日本や東南アジアの国々、そして太平洋の島々が点在するという構図がなんとなく出来つつある。

 音楽を聴くということは、自分の中にあるおぼろげな世界地図を少しずつ塗り込んでいく行為と分かち難く結びついている。

 その観点で振り返れば、パシフィカという概念をキーに活動してきた90年代のサンディーの鋭さに、改めて驚嘆しないわけにいかない。サンディーが「フリー・チベット」などと叫ぶことはない。しかし、中国の周縁地域に点在する開かれた音楽を繋ぎ合わせ、歌い込んできた道のりの確かさには、付け焼き刃的なメッセージでお茶を濁す音楽などでは太刀打ちできない信頼感がある。

 歴史的評価に耐えうる音楽とは、サンディーのように、感覚的に演ってきた音楽のなかに時代の風景が組み込まれたものなのだ。

(ミュージック・マガジン 1999年8月号掲載)

 

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