音楽の発火点
石田昌隆
(009)カホーンという革命
現在動きつつあるシーンのなかで最も興味深いのは、やはり、ドラムン・ベースを経て音楽はどこへ行こうとしているのか、ということだ。その意味で、レプラザント feat. ロニ・サイズの『シェア・ザ・フォール』が現時点の最重要アルバムであることは間違いない。ここに示されているビートの仕組みやアイデアは、さまざまなミュージシャンやプロデューサーに伝染して、再解釈されてゆくだろう。ビートの形態を取り入れることは、DJ的センスと技術があれば、あるいはそんなに難しいことではないのかもしれないし。でもこれだけは言えるはず。ロニ・サイズはブリストル出身の黒人であり、ビートにはこの街で育まれた根拠(あるいはメッセージ)が宿命的に内包されている。そういうコアな部分まで他者が取り込むことはできない。物語は独自に築かなくてはならないのだ。
話しは突然変わるが、沖縄に行ってディアマンテスに会ってきた。全曲スペイン語による新作『ライセス』が出る直前の6月7日、沖縄市パーク・アヴェニュー(旧コザ市BCストリート)にあるディアマンテスのホーム・グラウンド、パティーでのライヴ観戦を含めて一日密着させてもらったのだった。
パーク・アヴェニューにあるペルー食堂の前で、インカ・コーラを飲んでいるアルベルトの姿を撮らせてもらったり、パティーで、泡盛にパッション・フルーツのジュースを加えたオキナワ・ラティーナなるカクテルをご馳走になったりした。そんななか、日系ペルー人、アルベルト城間率いるディアマンテスが、宿命的にオキナワ・ラティーナなのだということを強烈に感じたのは、パティーでのリハーサルで『ライセス』に収録されている「トドス・ブエルベン」という曲を演り始めたとき。ドラム担当のホルヘ城間が何やらスピーカーのような箱の上に座って、その前面を叩き始めたのだ。あれは何だろう状態のぼくに、アルベルトは「これが革命なんですよ」と言ったのである。
スピーカーのような箱は、ペルーの黒人が生んだカホーンというパーカッションだった。リマを含めたペルー西海岸には案外黒人が多いらしい。アフロ・ルーツのパーカッションを使う音楽はスペイン人に弾圧を受けて、ハイチのブードゥーやブラジルのカンドゥンブレのようなものは残らなかったけど、ペルーの黒人たちは、そのかわり板を組み合わせて簡単に作ることが可能なカホーンという独自のパーカッションを生んだとのこと。
アルベルトは会話のなかで、しばしば革命という言葉を使っていた。ディアマンテスの音楽も、歌詞で直接メッセージめいたことを言うわけではないけど、ムシカ・ポプラールというより、ムシカ・レボリューショナリア・デ・ディアマンテス・イ・アミーゴス(略してMRDA)なのだという。
『ライセス』には、カホーンを使った「トドス・ブエルベン」のほか、マリネーラというリマの大衆音楽に近い「グロリア」や、ライヴでは後半はカチャーシーになってしまう「エイサ」などが収録されていて、かなりの混血ぶり。でもそれは、DJ的混合ではなく、日系人としてペルーに生まれ、黒人文化にも接して、やがて沖縄に移民するという物語のなかで、宿命的に育まれた根拠ある混血だった。そういう流民のリアリティーを前面に出すことが革命なのだということを、アルベルトは語っていたのである。(ミュージック・マガジン 1997年9月号掲載)